長崎報時観測所と測候所(2)  昭和6年「長崎市民讀本」から

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長崎報時観測所と測候所(2)  昭和6年「長崎市民讀本」から

長崎市グラバー園スカイロード第2ゲートから登った鍋冠山中腹の長崎報時信号所(観測所)跡地で、最近、報時球(タイムボール)吊柱の残骸と思われるものが、地下から見つかったことを、本ブログ次の記事とした。
https://misakimichi.com/archives/3504
この中で、長崎の文献として、昭和6年長崎市教育會編「長崎市民讀本」に古写真ともあり、と説明していた。長崎報時観測所及び測候所の記録と写真が、221〜226頁に次のとおり掲載されていたので、参考となるだろう。
朝日新聞昭和53年8月26日スクラップ「ドンの山—長崎海洋気象台百年」(ズーム拡大)も載せる。

三七 報時観測所及び測候所

(鍋冠山中腹にあった「長崎報時観測所」部分、(1)からの続き。以下は、ドンの山山頂近くに昭和24年まであった「長崎測候所」の話。現在の「長崎海洋気象台」の前身となる)

所長さんに厚く礼を述べ報時所を辞して測候所を訪れると、こゝの所長さんも快く面会を許して、いろいろの話をして下さつた。
「天気が私共の生活に深い関係のあることは申すまでもありません。遠足や運動会や修学旅行や、その他何をするにしても、天気のよしあしを第一に考へなければなりません。それで文明諸国ではどの国でも気象台や測候所を設けて、日々の天気を調査し、それによつて翌日の天気予報をなし、また暴風警報などを出しています。

我が国では東京に中央気象台があり、各地方に測候所を設けて、全国及び各地方の天候を調査してゐます。
当測候所でも毎時間天気や、温度・湿度・気圧・雨量等を観測し、其の結果を毎日午前六時、午後二時及び午後六時の三回、中央気象台に無線電信で報告いたします。中央気象台では、全国各測候所よりの報告に基いて、全国天気図を作り、之を各測候所に通知します。各測候所は中央気象台の通知による全国の天気と、其の地方の気象とを参考して、其の地方の天気図を作り、之によつて翌日の天気を予報し、また暴風のおそれあるときは、暴風警報を発して注意を与へます。

なほ当測候所での調査は長崎市附近に限られるので、県下の気象を調査するために、県内に二十五の気象観測所、及び三十六の気象調査所を設けて、それぞれ調査してゐます。
各気象観測所では、この外気候に関係ある動植物の移動変化、例へば渡り鳥の往来・新緑・発芽・咲初め・満開等をも調査記録してゐます。
なほ当測候所の附属として雲仙嶽観測所、及び富江測候所がありますが、そこでも当測候所と殆ど同じ調査をやつてゐます。

この長崎測候所は明治十一年七月に設けられたもので、我が国では第四番目の古いものです。初は海星中学校の前にあつたのが、明治三十一年八月此処に移されたのです。此処は海面から約一三〇メートルの高さにあります。」
なほいろいろのお話を聞き、いろいろなものを見せていたゞいて非常に面白かつた。厚く礼を述べて帰途に着いたのは午後四時頃であつた。