野母崎ゴルフ場内の道塚「庄五郎地蔵」
高崎市郎さん「郷土誌余聞」その36”切り捨て御免”平成5年から。
元禄の頃ある冬の日に、みさき街道を一人の武士が西方に向って駆けて行った。余程の急使とみえ袴の裾をしぼりあげての鉢巻姿は只の使者とも思われない。街道とは秋葉神社の北側で岬村へ通じる当時の本街道みさき道である。
この使者には邪魔者は切り捨て御免の許可が出ていた。何のための急使だったのか、長崎で起きた深堀騒動に関係したものだったのか、或いは領主に何かの異変があっての急使者か?
高浜と川原の別れ道に差しかかった時、一人の老母が孫の手を引きながら、石楠の花が咲いた山道をとぼとぼ歩いていた。「ドケ、ドケ、道をあけろ」と怒鳴ってみたが、この老母は耳が遠かったのか道をあけなかった。武士はエイッとばかりに斬り捨てたのである。
そして半里程も西へ行った所の延命地蔵の湧水でその血刀を洗い、渇いた喉をうるほして目的地へと消えて行った。
切り捨てられた老母と孫はまだ息はあったので、通りかかった庄五郎が家まで送り届けたものの、その刀傷が原因で程なく死んでしまった。庄五郎は其の後地蔵を建てて人々の道安全と死者の霊を弔らったので、人々はこの地蔵を庄五郎地蔵と言った。(略)
近くに住む古老から伝え聞いた物語である。場所は川原道と高浜道との石の道標のある近くにあって、今では詣でる人もなくひっそりと草むらの中に西日が当っていた。(略)
血刀を洗った延命地蔵には現在もきれいな湧水が流れておりその昔、岬の観音参りの人々も、ここでのどをうるほしたものと思われる。
こおろぎの鳴いて 刀禍の風化墓碑 龍池