龍泰寺の太鼓橋  愛媛県松山市御幸1丁目

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龍泰寺の太鼓橋  愛媛県松山市御幸1丁目

松山市に残るアーチ式石橋。HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」愛媛県の石橋によるデータは、次のとおり。

№3,942   龍泰寺の太鼓橋   2009.01.04

松山市御幸1丁目

大川  橋長:7.0m  橋幅:1.8m  径間:3.4m  拱矢:1.3m  環厚:28cm
架設:元禄11(1698)年頃?  倉浜御影石

龍泰寺の入口に架かっています
ご住職のお話では、このような真円になっているという話が伝わっているそうです
橋のたもとに石柱“この寺に五百らかんあり”(寛政八大傑僧の一人明月正人の書)
当山15世文明和尚の時五百羅漢が作られた
元禄11年(1698)この地に移転した当時のままの山門

萬松寺 龍泰寺
「天正6年(1578年)戌寅年開山 城川町龍沢寺13世立屋是春大和尚によってこの地より約200m西の地に龍澤寺(56〜7の末寺を有す)の8番目の末寺として開山されました
元禄11年(1698年)戌寅年11月 龍泰寺8世宝山徹至によってこの地に移転して竣工いたしました
12月4日 晋山 松平隠岐守定直公の建立でした
この山門は当時のまま約310年たっています。定直公は伊予15万石久松家4代の藩主。
城北地区の勉学所として出来た。
寛政八大傑僧 文明和尚当山15世この時500羅漢が作られた(橋のたもとに石柱“この寺に五百らかんあり”八大傑僧の一人明月正人の書)
昭和20年7月26日本堂戦災時焼けました。
昭和22年 仮本堂再建 当山31世祖道弘範によって昭和8年より座禅会を展いています。32世大道豊治によって休会することなく続けられ、その間沢木興道老師年1回(S30−38)その後内山児正老師(春秋の接心12回をつづけ、現在33世によって毎週水曜午後7時(12月1日〜7日)臍八接心を行っている。
平成20年(2008年)戌子年8月20日落慶したこの本堂です。
同年11月2日 当山において約106年ぶりに晋山結成式。
註:不思議なことに西暦ではみんな8年である。干支では戌(ツチノエ)である。計ったものではありません 偶然のめぐり合せです。
以上 歴史」