2−G 金比羅山の砲台山中腹  (確認 長崎要塞第二地帯標 第四十六号)

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2−G 金比羅山の砲台山中腹  (確認 長崎要塞第二地帯標 第四十六号)

「長崎要塞地帯略図」の2−G地点については、平成18年4月発行の研究レポート「江戸期のみさき道」第2集の中、明治32年陸軍省建立「長崎要塞地帯(区域)標」の調査の149頁において、次のとおり調査結果を記していた。

2−G 銭座町か
浦上駅をはさんで、2−Eと斜め対極となる。金比羅山かと考えたが、次の風頭町からは県立東高の背後ピークしか見えない。ここは今、水道タンクや多目的広場があり、戦時中は砲台や防空壕があった。
しかし、地元の昔を知る人の話は、標石をこの金比羅山一帯で見たことはないという。かえって銭座町の変電所や中央タクシーあたりに明治砲台の赤レンガ兵舎跡があり、原爆後、農地解放で畑となって今は中央タクシーになっているらしい。位置的にその可能性は高い。

平成18年だから私は約6年前、次の標石2−H「風頭から寺町へ下る石段道路脇」(確認 第二地帯標 第三十五号)地点から見た展望から、もし金比羅山とするなら山頂や神社あたりは見えず、県立東高の背後ピークしか見えない。
今、水道配水タンクや多目的広場(戦時中、高射砲陣地があり、原爆慰霊碑が立つ。通称「砲台山」と呼ばれる)があるあたりと目星をつけ、一帯をずいぶん調査した。どうしても探し出すことができず、当時地元で聞いた人の話により、2−Gは「銭座町か」としていた。

しかし、これは当初の目星が正しく、金比羅山の砲台山中腹に「長崎要塞第二地帯標」が現存していることが、最近判明した。軍の歴史などを調べる鹿児島の小原さんという方が、登山中偶然発見し研究レポートを読んで、佐世保の高橋さんや私に知らせてくれた。
きょう標石を確認してきた。場所は立山5丁目22街区の山中。東高正門右横の車道を上がり右折、駐車できる奥の道路広場まで行き、まっすぐ金比羅神社への山道へ入る。バンクが通る道で100mほど先の道脇左上にこの標石があった。遠く逆に風頭町の標石地点が良く見える場所近くである。

この道は何回も歩いたり、バイクで通ったことがある。これまで気付かなかったのは、道脇から2mほど高い石垣の上にあり、大木の根元で雑木にさえぎられ、標石があることがわかりにくかった。戸町岳登山道入口の標石もそうだったので、最近見つかっている。
2−G地点「金比羅山の砲台山中腹」の標石刻面は4面。「陸軍省」「長崎要塞第三地帯標」「第四十六号」「明治三十二年六月十日」。
「長崎要塞第三地帯標」となっているが、上部はSMなし、「2ndZ」と改刻しているので、「長崎要塞地帯略図」からも「長崎要塞第二地帯標」である。
「長崎要塞地帯略図」は、  https://misakimichi.com/archives/54