伊木力みかん(野川内の小蜜柑)  諌早市多良見町野川内

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伊木力みかん(野川内の小蜜柑)  諌早市多良見町野川内

諌早市多良見町野川内にある。長与から行くと松ノ頭トンネルを越え、重尾大橋からもう一方の谷を回り込む下りカーブのところの県道33号線すぐ左道脇の石垣上にある。樹高が低く目立たないから、説明板を注意して探す。現地説明板は次のとおり。

伊木力 野川内郷の小蜜柑

江戸時代の末期、天明年間(一七八〇〜八八年)、この地が大村藩領の頃、伊木力村、野川内の中道継右衛門、山川内の田中村右衛門、舟津の田中唯右衛門などが当時の大村藩主純鎮公から苗木を戴いて植付けたのが蜜柑栽培の始めとされている。また、隣村の北高来郡古賀村から苗木を取り寄せたとも言われる。
この小蜜柑は中道家の先祖である中道継右衛門が当時山を伐り開いて植えたものと推測される。推定樹齢はおよそ二百年である。
江戸時代末期頃までは蜜柑を栽培していた農家は大変少なかったが安政の開港によって海外貿易が拡大し、長崎の港が盛況になるにつれて蜜柑の需要が高まり、生産が拡大していった。
明治十八年頃には、西彼杵郡内で生産高、販売高とも伊木力村が第一位となり、価格も県下町村で随一だった。
明治三十五年西彼杵郡内で生産される温州蜜柑については「伊木力みかん」に統一することに決定し、名実共に県の生産の中心としての地位を獲得した。
平成十二年七月  諌早市教育委員会