長与町の主な史跡など (2) 丸田郷
長与町の主な史跡などの説明は、平成15年ふるさと長与研究会編「ながよふるさとカルタ解説書」HPから。詳しくは、長与町教育委員会編「長与町郷土誌」平成6年発行や、長与町役場HP「観光・文化」の項にある。
http://www.nagayo.jp/kurashi/kyoiku/main_6_11.html
http://www.nagayo.jp/kbs/index.html
写真 1〜 3 1 中尾古城跡(丸田郷)
丸田郷中尾の標高90mの丘陵にある。一帯は「中尾城公園」となっている。
地域の オアシス 中尾城公園
昔の山城のあとに作られた、地域のみんなが楽しめる公園です。公園のシンボルでもある赤いエアロフリッジからすべりおりる高さ二十六mのスパイラルスライダーや長さ五十二mの草スキー場などで遊ぶことができます。春には桜がきれいに咲き、花見にはぴったりの場所です。
公園の中には町民文化ホールや陶芸の館、展望台などもあります。
写真 4 2 中尾城公園に移築されている「百合野橋」(丸田郷)
町民文化ホール駐車場奥に、道路拡張のため移築されたアーチ式石橋「百合野橋」がある。
次の記事を参照。 https://misakimichi.com/archives/628
写真 5〜 7 3 寺屋敷跡・五輪塔群(丸田郷)
昭和45年県指定史跡。丸田郷中の原にある。三菱丸田アパートの後ろ側。周りは住宅地。
昔を伝える 丸田の 五輪の塔
丸田郷の寺屋敷と呼ばれている畑の中に、ふるい五輪の塔があります。これは、今からおよそ五百から六百年前の「武士の世の中」に、長与をおさめていた人々のお墓だと考えられています。
写真 8 4 丸田温泉(丸田郷)
三菱丸田アパートの先にある。同地の素封家中山氏が経営していた。現在は町のセンター。
次の記事を参照。 https://misakimichi.com/archives/2853
(長与町郷土誌 下巻 73頁)
大正時代の丸田温泉
現在の老人福祉センター丸田荘は、大正のころは幽雅閑静な鉱泉場として遠くからも訪れる人が多く、人々に親しまれていた。
当時の新聞はこの情況を次のように伝えている。(大正11.9.18 東洋日の出新聞 略)
なお附近に三菱療養所があって鉱泉を利用して治療に用いた。
写真 9〜13 5 タンタン岩と屏風岩(丸田郷)
丸田谷の奥に見える岩。丸田岳山頂分岐から200m下る。登山路は、丸田谷、稗ノ岳、本川内など各方面からある。
(現地説明板)
雨が降った時、雨水のしたたり落ちる音がタンタンと聞こえることから、タンタン岩とという名が付けられたという説もある。
この岩体は、浸食に弱い火山カクレキ岩層が急な崖を形成している。今から200万年以前爆発した長崎火山の周辺部の位置しており、浸食や風化が著しいため、異様な景観を呈している。
ちなみにタンタン岩には怪物が現れて、村の若い者にお告げをしたという昔話もある。
写真 14〜17 6 丸田岳(338.9m)烽火台跡(丸田郷)
タンタン岩の上の山が丸田岳である。登山路は、丸田谷、稗ノ岳、本川内など各方面からある。
(現地説明板)
寛永15(西暦1639)年,長崎市の烽火山に烽火台が設けられ,長崎に異変があったとき,琴ノ尾岳→彼杵→高来の烽火台を経て太宰府へ伝えられた。
ここの烽火台は長崎から琴ノ尾岳への中継地として使われたものと推察される。
文化6(西暦1810)年「曇天で雲霧深き時分は分明に通じかねる」と申し出があり,それよりこれを止め飛脚をもって通じるようになった。
写真 18〜22 7 稗ノ岳(204m)(山頂は本川内郷)
緑ヶ丘団地の上に見える岩峰。団地奥から急な農道が「稗ノ岳神社」まで上がり、本川内へ通じる。山頂へはロープで登るが危険。現地説明板は丸田岳登山道の方へある。
(現地説明板)
ここの下方に大きな岩が3つそびえている。岩の上は約5坪くらいで松や草が生えている。
一番上の岩の下には石祠があり難聴に霊験あらたかであると信じられていることから「稗ノ岳神社」として祭られている。毎年4月15日が祭礼日である。
大昔はこの上を海水が乗り越えて岩の頂上に塩がたまっていたので「のりこし」とも呼ばれ岩体は輝石安山岩質の火山カクレキ岩で浸食に弱いため急な崖を形成し特異な景観をつくっている。…