塩浜跡石碑  諌早市多良見町化屋

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塩浜跡石碑  諌早市多良見町化屋

諌早市多良見町化屋、JR喜々津駅北側の化屋公園の一角に石碑はある。塩田だったこの辺りは海面が埋め立てられ、喜々津シーサイドタウンができるなど、住宅地として大きく変貌している。現地説明板は次のとおり。

化屋名塩浜跡石碑

喜々津村に塩田が開かれたのは、江戸時代初期(寛永の頃)で、久山側から喜々津川河口へと拡げられ、塩浜八町といわれた。そこには、塩炊き窯が五軒ありこの辺りを化屋と呼んだ。ここでは、年間約八百石余の塩が生産され、諌早方面へ納められていた。
明治時代に専売局に引き継がれたが、明治四十三年(一九一〇)この地の製塩が廃止され、塩田は大島の丘の土で次々に埋め立てられ畑地となった。
その埋め立て終了を記念し、大正三年(一九一四)に、原口駒太郎氏によって、この石碑が建立された。
碑 文  埋塩濱而為畑地
平成十一年七月  諌早市教育委員会

なお、多良見町「多良見町郷土誌」平成7年刊723頁の説明は次のとおり。
5.塩浜埋立の碑
化屋公園の一角にある。『埋塩濱而為畑地 大正三年甲寅竣工 原口』とある。この辺では江戸時代中期から塩田がつくり始められ、最盛期には八町歩もあったという。「化屋」の地名もこの理由——製塩の施設「ケヤ」からきているのである。