長崎の古写真考 目録番号: 650 中島川風景下西山町辺り

イメージ 1

長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号: 650 中島川風景下西山町辺り

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号: 650 中島川風景下西山町辺り
〔画像解説〕 超高精細画像データベース
写真左側が下西山町、右側が片淵である。大手橋の袂から川沿いに、片淵方面へ少し下った所から撮影した写真である。大手橋の袂には、その昔、長崎氏の大手門があったことから川の名も堂門川と呼ばれた。現在は、一般に中島川と呼ばれている。昭和57年(1982)長崎大水害後の災害復旧河川改修工事に伴い、写真中央の川の関は取り壊されてしまった。写真上部、樹木の繁った所の石垣上の建物は、現在の富貴楼である。富貴楼の前身は、千秋亭と言い、寛政の昔から「松森の千秋亭」と言われ、大変有名であった。今も長崎の一流の料亭である。明治20年(1887)頃、長崎を訪れた伊藤博文がここに宿泊した際、女将内田トミの求めに応じて、その名に因んで「富貴楼」と命名したものという。富貴楼の裏口は、松森神社の境内である。樹木の間から松森神社の本殿屋根がみえている。松森神社には、県指定有形文化財「職人尽」の彫刻が本殿を囲む瑞籬の欄間に飾ってある。

〔画像解説〕 メタデータ・データベース
写真上部の建物は現在の富貴楼にあたる。現在は西山川と称されているこの川の周辺はこの写真の景観とは非常に異なっている。背後に写っている山は金比羅山である。

■ 確認結果

目録番号: 650「中島川風景下西山町辺り」は、〔画像解説〕で「川の名も堂門川と呼ばれた。現在は、一般に中島川と呼ばれている」と説明しているが、中島川本流は二股から右へ上がる。
堂門川なら、メタデータ・データベースの解説どおり「現在は西山川と称されている」とし、中島川支流である説明をした方が良いと思われる。