長崎外の古写真考 目録番号:2835 大阪城(5)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:2835 大阪城(5)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:2835 大阪城(5)
〔画像解説〕
大手門および大手多聞櫓を望んだところ。左は千貫櫓である。千貫櫓と大手多聞櫓は現存。明治初年のころの撮影と思われる。

■ 確認結果

目録番号:2835「大阪城(5)」は、〔撮影者:F.ベアト〕であろう。
横浜開港資料館編「F.ベアト写真集2 外国人カメラマンが撮った幕末日本」明石書店2006年刊42頁に掲載されている。同解説は次のとおり。

59.大阪城
大手門付近。明治元年(1868)正月、戊辰戦争のさなか、本丸などの主な建物が焼失した後の荒涼とした姿。(D)

また、放送大学附属図書館所蔵古写真展HP「日本残像 —写真で見る幕末、明治—」大阪・神戸にも、ベアト撮影として掲載されている。

大阪城
慶応4年1月9日、城中から出火して大阪城は本丸、二の丸ほか櫓、城門の主だったものが灰燼に帰した。残されたのは大手門、多門櫓、千貫櫓、乾櫓などである。この写真は明治初年の焼け残った大手門である。ベアト写真帳に同じ写真が見られることからベアトの撮影であることが分かる。 モノクロ 21×28cm