長崎外の古写真考 目録番号: 167 大宮からの富士山(1) ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 167 大宮からの富士山(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 167 大宮からの富士山(1)
〔画像解説〕
大宮(現富士宮)より見た富士山。大宮は当時戸数一千余り、富士登山の表口といわれたところである。川辺に笠をさした芸者など多くの人々が見えるのは観光地であったことを示しているのかもしれない。富士浅間神社があるので大宮の名がついたという。

目録番号:908 大宮からの富士山(2)
〔画像解説〕
画面左に見事な水車が見える。大宮は富士川水系潤井川中流左岸に位置する。近世、甲州路の要地として、大宮浅間神社を中心とした経済の中心地であった。安永年間からは東海道吉原宿の臨時助郷を勤めた。

■ 確認結果

目録番号: 167「大宮からの富士山(1)」などは、富士宮市大宮だが、「富士宮浅間神社東側あたりの神田川沿い」の風景であろう。
HP「古絵葉書に見る東海の富士」に、目録番号: 167「大宮からの富士山(1)」と同じ写真の絵葉書が掲載されている。同解説は次のとおり。

日下部金兵衛の撮影。富士宮浅間神社東側あたりの神田川沿いらしい。右手から左手方向へ登っていく道が、大宮登山道のようだ。清らかで豊かな川の流れ、美しい村、そして雄大な富士がやさしく優しく包み込む中を、村の子供たちが遊んでいる。もし、子供たちが写っていなかったら、この写真の良さは半減していただろう。
富士山に抱かれた山麓の人々の暮らしの原風景が、ここにある。