長崎外の古写真考 目録番号:2966 大涌谷(3) ほか

イメージ 1

イメージ 2

長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:2966 大涌谷(3) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:2966 大涌谷(3)
〔画像解説〕
明治九年(1876)東京医学校教授として来日したベルツは明治二十年(1887)大涌谷の噴泉に目を付け、温泉を医療的に利用する一大温泉場設立の建白書を内務省に提出したが、この提案は実らず、失意のうちにドイツに帰国した。写真では噴煙が上がる中、小屋に向かうと思われる人物の後ろ姿が見える。

目録番号:3131 大涌谷(5)  (同写真 掲載略)

■ 確認結果

目録番号:2966「大涌谷(3)」と、目録番号:3131「大涌谷(5)」は、〔撮影者:日下部金兵衛〕ではないだろうか。
小沢健志氏編「新版 写真で見る 幕末・明治」世界文化社2000年刊74頁に、「噴気の大地獄 1880年代 金幣アルバムか」として掲載されている。同解説は次のとおり。

噴気の大地獄 1880年代 金幣アルバムか
明治5(1872)年、天皇の箱根巡幸の際に大地獄を大涌谷と改称。閻魔台と地獄沢からなり、閻魔台は現在も硫気を含んだ水蒸気を噴出している。