長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3805 鯉幟の揚がる町並 (再掲)
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
目録番号:3805 鯉幟の揚がる町並
〔画像解説〕 超高精細画像データベース
長崎を特集した、大型蒔絵アルバムの中の一枚。見開きにはTo Mr & Mrs Kawamura in kind remembrance of Nagasaki from Mr & Mrs Jordan(河村夫妻へ長崎の親切な思い出としてジョーダン夫妻から)とペンで記されジョーダンが帰国にあたり蒔絵の長崎アルバムを横浜に注文したものと思われる。この写真にはD38.THE CARP.と印字されているが、これは小川一真のアルバムで、この写真から明治20年代後半頃の長崎の通りと端午の節句における町屋の鯉幟の風習がよくわかる。西浜町あたりかと思われるが、店の暖簾には、手前から酒屋の「いせや」、1軒おいて「近江屋」の文字が、奥の方の壁には「まつだしち店」の文字が読める。明治22年(1889)に長崎で設置された始めた電信柱も見える。4軒続いて鯉幟が飾られているが、ここから明治の長崎における町屋の子沢山も推測される。事実中央の近江屋の前には多くの子供たちが佇んでいる。
目録番号:1093 鯉のぼり(1) (掲載略)
〔画像解説〕
町中の鯉のぼり。4本の高い棒に取り付けられた4組の鯉のぼりは、風があまりないのか少し垂れ下がっている。町並みは二階建ての家が続き、手前の家の前には大八車や積み上げられた商品らしい荷物が見える。
■ 確認結果
目録番号:3805「鯉幟の揚がる町並」は、次のとおり朝日新聞長崎地域版2011年5月14日「長崎今昔」に掲載された。
目録番号:1093「鯉のぼり(1)」(掲載略)も同一写真で、〔撮影地域:長崎〕となる。
この前の記事は、 https://misakimichi.com/archives/2644
超高精細画像データベースでは、場所は西浜町あたり。〔撮影者:上野彦馬〕だが、新聞記事では、「撮影者は不明」と変わっている。
【長崎 今昔】 2011年05月14日 asahi.com> マイタウン> 長崎 から
子だくさんを物語る 《鯉のぼり泳ぐ明治の街角》
鯉のぼりが泳ぐ明治の街角=長崎大学付属図書館提供
長崎を特集した30枚の写真を貼り付けた蒔絵の大型アルバムの一枚です。写真の隅には英語で「コイ」とキャプションがついています。収載された他の写真から1890年ごろの撮影とわかります。
4軒続いてこいのぼりが揚げられ、明治期の町屋の子だくさんが推測されます。店ののれんには、手前から酒屋の「いせや」、1軒おいて「近江屋」と書かれ、奥の壁には「まつだしち店」の文字が読めます。近江屋の前には子供たちがたたずんでいます。車が走らない路上は格好の遊び場でした。
長崎では1889年から街中に電灯がともり、電線をつなぐ電信柱が立ちました。人力でひく車力やこもの酒だるなど、昔懐かしい風景です。手前の家の軒先には電球付きのランプ型の門灯がともされています。街路を歩く人にぶれがないので、シャッタースピードの速いことがわかります。
アルバムの見開きには「ジョーダン夫妻から河村夫妻へ、長崎の親切な思い出として」と英語でペン書きされています。長崎総合科学大のブライアン・バークガフニ教授が作った居留地人名リストに照らすと、ジョーダン夫妻はスタンダード・オイル長崎支店のアメリカ人支配人J.F.ジョーダン夫妻と思われます。
撮影者は不明ですが、原板の鶏卵紙が和絵の具で着色されていることと、隅に記されたキャプションの特徴から横浜系写真師のようです。西浜町あたりかと思われますが、場所がお分かりの方がおられましたらご一報ください。 (長崎大大学院教授 姫野順一)