長崎外の古写真考 目録番号:3077 川に架かる鉄道橋 (再掲)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:3077 川に架かる鉄道橋 (再掲) 

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:3077 川に架かる鉄道橋

■ 確認結果

目録番号:3077「川に架かる鉄道橋」は、F.ベアトの作品。明治初期に建設された見事な煉瓦橋梁を写した貴重な写真だが、データベース上では「撮影地域:未詳」となっている。
「大日本全国名所一覧 イタリア公使秘蔵の明治写真帖(ちょう)」(平凡社)に「七條磧鉄道」と記され掲載されていて、明治初期、官設鉄道(現JR)東海道線に造られ、昭和初期に姿を消したとされる国内最大級のれんが造りアーチ橋「下津林避溢橋(ひいつきょう)」(京都市西京区)と確認できた。インターネットで調べた京都新聞の2008年8月記事は下記のとおり。
この項の前記事は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/2353

現在の写真を、京都市に住み近代測量史を研究されている上西勝也氏へ依頼した。2月4日撮影し、送信してもらったので、この記事を再掲した。先生のサイトは、”史跡と標石で辿る「日本の測量史」 旧題:三角点の探訪”がある。
現在の東海道線桂川横断は、まったく新しく造られていて、遺構の残存確認はできない。
1枚目がJR桂川鉄橋。左在来線で右新幹線。2枚目が在来線鉄橋。3枚目が在来線橋脚。
「桂川の右岸、西京区下津林の堤防、在来線と新幹線の間から撮りました。橋脚のレンガは上塗りが剥離して一部見えるところがありましたが、さほど古いものではなさそうです。立ち入り禁止のところが多く近寄れませんでした」とのことである。

【京都】明治初期に造られ昭和初期に姿を消した、れんが造り25連アーチ鉄道橋「下津林避溢橋」の全体写真確認(画像あり)
1:西独逸φ ★:2008-08-13 19:24:13

明治初期、官設鉄道(現JR)東海道線に造られ、昭和初期に姿を消したとされる国内最大級のれんが造りアーチ橋「下津林避溢橋(ひいつきょう)」(京都市西京区)の写真を、山田奨治・国際日本文化研究センター准教授が確認した。これまで不鮮明な写真はあったが、25連アーチ橋の全体像を収めた写真は珍しい。橋が撤去された記録はなく、「近代化遺産としての価値があり、軌道下の土手中に埋まっている可能性もある」という。

写真は、明治初期の日本の風景を記録した「大日本全国名所一覧 イタリア公使秘蔵の明治写真帖(ちょう)」(平凡社)の中の1枚。写真の解説文を担当し、調査していた山田准教授が、鉄道専門家に聞くなどして確認した。

避溢橋は、洪水時に線路の土手が水を遮らないよう平地にアーチ型などの形状で設けられる橋。下津林避溢橋は、大阪−京都間開通の前年、1876(明治9)年に完成。長さ447フィート(約136メートル)、高さ推定約5・5メートルで、避溢橋では国内最長。25のアーチが連続する構造で、第四有楽町高架橋(東京)を上回る最多のれんがアーチ数とみられる。

地元では、「25の丸がた(形)」と呼ばれ、原っぱの中のモダンな景観として親しまれたが、いつしか姿を消した。1930(昭和5)年の複々線化に伴い、現在のような土手になったとみられるが、記録は残っていない。写真を見た中川浩一・茨城大元教授(歴史地理学)は「桂川の水害防止の環境が整い、避溢橋の機能が不要になったのではないか。南禅寺境内の『水路閣』をはるかにしのぐ規模で、『鉄路閣』と呼ぶにふさわしい」と話す。

鉄道遺構に詳しい鉄道総研(東京)の小野田滋氏は「鉄道の構造物は、列車の荷重や地盤沈下、温度伸縮などで複雑に変形する。25連のアーチ橋は設計の限界への挑戦といえる」と指摘し、今も軌道下に埋まっている可能性を示唆する。
ソース 京都新聞
【画像】25連アーチが独特の景観を醸していた下津林避溢橋。「大日本全国名所一覧」では「七條磧鉄道」と記されていた。1881(明治14)年ごろまでの撮影とみられる。