歳旦塚(さいたんつか)  長崎市西山本町

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歳旦塚(さいたんつか)  長崎市西山本町

長崎市西山本町にある。元長崎東高校の裏通り、西山本町の9街区と10街区の間の急な石段を63段登った左側、西山本町9番30号松本宅の家囲いを裏へ回り込み、一段下がった軒下の庭地にある。この岩の上に家屋が建っている。岩の寸法は全横2.8m、高さ2mくらい。
石段の上側は、古い石祠など残り、崇福寺墓地もあった境界標あり。このあたりが由緒ある土地だったことがうかがえる。
岩永弘著「長崎周辺”石・岩・陰陽石”」2002年新春刊14頁の説明は次のとおり。なお、「歳旦」とは、1月1日の朝。元旦のこと。

元県立高女ならびに東高校跡公園上の道路で、生島邸左側の坂段を50段ほど上った松本宅(西山本町9番30号)の裏庭にある。この一帯は昔、崇福寺の末庵祇樹林があったところである。
巨石の歳旦塚は、家屋の軒下にあり哀れをもよほす。多くの漢詩?が刻まれている。特に芭蕉翁が庵に泊まったお礼に残した句「長崎の歳旦貰ふ歳暮哉」が太く刻まれている。

(追 記 平成19年11月27日)
実はこの句は芭蕉の句ではない。西山の中尾氏の協力により文献があることがわかった。長崎手帖社「長崎手帖 No.11」昭和33年1月25日発行の「碑をたずねて 6」27頁に、中西啓氏稿「歳旦塚について」があった。
後項「歳旦塚(さいたんつか)は芭蕉の句ではない」に載せて訂正したから、参照ください。