長崎の古写真考 「甦る幕末」 154:長崎・大浦外人居留地

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      長崎の幕末・明治期古写真考 「甦る幕末」 154:長崎・大浦外人居留地

「甦る幕末」のもう1冊の新版「写真集 甦る幕末 ライデン大学写真コレクションより」朝日新聞社 1987年発行から、気付いた作品の4点目。

138頁  作品 154:長崎・大浦外人居留地
〔画像解説〕
飽の浦より大浦居留地を望んでいる。海岸に近い左手の森は現在活水大学のある東山手の丘、そこから左手の町並みが旧長崎市街、左端の寺は筑後町の本蓮寺である。後方の大きな山は彦山。

■ 確認結果

「甦る幕末」の作品 154 と同じような光景の写真は、長崎大学データベース目録番号:3239「飽の浦からの長崎港(6)」がある。対岸飽の浦の恵美須神社付近から長崎市街を写したパノラマ写真の一部。明治天皇西国・九州巡幸に随行した内田九一の撮影とされる。

一見「甦る幕末」の作品も、撮影場所は同じ飽の浦の恵美須神社付近からと思われそうだが、彦山・愛宕山などの山の姿と重なりから、飽の浦の先、現在岩瀬道町の三菱重工長崎造船所本社ビル下、占勝閣(迎賓館)がある身投崎あたりから撮影されたのではないだろうか。

写真の正面は大浦海岸通りの居留地で、左は出島となる。その後ろの低い山並みは風頭山一帯であろう。したがって、左端の寺は立山下の筑後町「本蓮寺」でなく、風頭山下の鍛冶屋町「大音寺」と、右は「大光寺」ではないかと思われる。
現在の大音寺と、寺上墓地から長崎港(高いビルのため見えない)を挟んだ対岸岩瀬道町の三菱重工長崎造船所本社ビルを写してきた。