陸軍省要塞地帯標 軍縮の標石を見た壱岐

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陸軍省要塞地帯標 軍縮の標石を見た壱岐

これも佐世保市住まい、陸軍省要塞地帯標や海軍省軍港境域標の標石探しと研究をされている高橋輝吉氏から寄せられた資料である。高橋氏は佐世保のみならず、全国へも出かけ、これら標石の調査をされ、数多くの標石を見つけられている。
本文は、「壱岐要塞地帯標」調査の記録である。資料・写真は多くもらっているが、ここに掲げるのはその一部であるので、了承をお願いしたい。
壱岐要塞「黒崎砲台」跡の現況写真は、私が2008年9月、壱岐を訪れた際に写していた。猿岩展望所のすぐ近く。

高橋輝吉氏稿  陸軍省要塞地帯標 軍縮の標石を見た壱岐

下関と対馬間の島「壱岐」。軍縮の大砲を据え付けた島「壱岐要塞」。大正13年以降に実施。戦艦「土佐」より外した大砲。当時の軍部は困った事だと思った人が何人居た事か。今日思うと無駄な事だと思うが、当時としては「軍縮」が先です。
当時はすべてが大陸へ、大陸へと向かって居た。総てが大陸へ行けば何んとかなるさと。不況となって居た。大砲もその当りが来た。「ドイツ」より古い大砲。軍費の節約か。

佐世保・下関・長崎と、要塞地帯を示す標石が平戸市北部の薄香にあった。「壱岐要塞区域標」で「第8号」「大正13年8月10日」(上段写真)。要塞標石は節約の時代に造ったのかなー。標石は「コンクリート」製で、他の要塞地石は御影石で一部硬い石です。
他にも有るかなーと思い、「渡島」に問い合せた所、外人が持ち帰ったとの事。平戸の分は、釣り人の方が通り道に有りと、自分と同じ生年月日と言ってましたから、確実と思った。各地の標石を見た限りでは、石にも軍縮の波が。他には改刻が多く見られます。

対馬、壱岐はどうなっているのかなーと思い、対馬へ行ってみた。対馬には知人が居ます。多くの石、発見です。さて対馬、今年3月「豆酸(つつ)」に標石有りと。此処で変な標石発見。此の石は友人の方も存じていない「F.Z.」で、「無号」。「明治36年6月」で、今日まで見た石の内で、一番変化。ビックリしました。
海軍省説明の書の中に、鎮海湾(元朝鮮) 要塞地の標石に無号、廃止と。大正2年11月21日「告示」上の事。大正13年7月3日「告示」。廃止「4本」。何々、壱岐要塞地より、要塞地帯を示す石が、壱岐より4本廃止と。「黒崎砲台」を残してかー。対馬を重きに置き、壱岐は少し落ちたのかー。

さて壱岐には、要塞地帯を示す石はないと言って居たが、有りましたぞ。早速行って見ましたが、何んだ此れ、平戸に有った石と同じ造りで「コンクリート」製。「年月日」同じ。だが、「S.M.3rdZ 壱岐要塞第三地帯標」「第29号」「陸軍省」」(下段写真。黒崎砲台近辺の山中に有ったのを持ち帰り、個人宅へ据える)。
壱岐の方は、平戸の石を知りません。私は2つの石を見て、嗚呼と思った。「軍縮」標石だと。当時、軍部は○秘でしょう。別に梅津湾などに「陸」と印した石有り3本。用地用です。小呂の島には、墓石となる4本有り。