長崎外の古写真考 「名所一覧」277頁 1 天艸島

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

長崎外の幕末・明治期古写真考 「名所一覧」277頁 1 天艸島

平凡社「大日本全国名所一覧 イタリア公使秘蔵の明治写真帖」2004年11月 初版第二刷発行から気付いた作品を取り上げる。

277頁 肥前之国
1 天艸島

■ 確認結果

泊天草洋
雲耶山耶呉耶越水天髣髴青一髪萬里泊舟天草洋煙横篷窓日漸没瞥見大魚波間躍太白當船明似月

あれに見えるは雲であろうか。山であろうか。それともシナ大陸の呉の地か越の地か。水と空とがあたかも青い髪の毛を張ったように一線を画して連なっている。はるばる京洛より来て、この天草洋に舟泊まりする。夕靄は静かに船の小窓をこめて太陽は次第に西の海に沈んでいく。おりしも大きな魚が突然波間に跳ねるのをみた。空には宵の明星(金星)が出て船を照らしておりまるで月のように明るい。

頼山陽は,江戸時代後期の漢学者、修史家。頼山陽が文政元年8月(1818)西遊の途次、長崎より茂木を経て、天草へ船で渡った。当時富岡の城下に開塾されていた儒者渋江龍淵をたずね来遊されたと伝えられている。その時、西海天草灘の展望を詠じたのが、この名吟である。
この詩碑は、苓洋高校近くの山陽公園に建っている。
http://www.geocities.jp/amakusa_tanken/hakuamakusanada.htm

「名所一覧」277頁の「1 天艸島」は、肥前之国に掲載されている。タイトル以外、画像解説が何もないが、上記名吟があり、熊本県天草郡苓北町富岡の陸繋島、曲崎の光景と思われる。航空写真のとおり、現在の苓北町役場左上の志岐海岸あたりから撮影できる。現在の写真は、茂木〜天草富岡フェリー船上から曲崎の先端部を以前、ほぼ同じ方向で写していた。

「富岡の砂嘴」は、志岐平野の北西部に位置する陸繋島の先にある。この陸繋島は富岡半島とも呼ばれ、その北東端部にある元袋集落から巴湾をぐるりと囲むように、「砂嘴」という鳥のくちばしに似た「かぎ型」に曲がった美しい地形をつくっている。地元では、この砂嘴の先端部を曲崎(まがりさき)と呼んでいる。