長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6204 長崎製鉄所(2)
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号:6204 長崎製鉄所(2)
関連作品 目録番号:5314 長崎製鉄所
〔画像解説〕
安政5年に日本は開港し、長崎港の東側である東山手・大浦・南山手に外国人居留地が造られた。しかし、開港する前の安政4年(1857)には長崎港の東側、飽の浦地区(現在の三菱造船所)では、幕府はオランダ人ハルデスの指導のもとに、大型船の建造を目的とした長崎製鉄所の建設を始め、文久2年(1862)に完成させている。この長崎製鉄所は、主に機械施設が中心の工場であった。二本の煙突のある鍛冶場は、ボイラー室で煉瓦造の建物である。右の建物は、日本で最初に鉄製のトラスの小屋組を採用した轆轤盤細工所で、多くの工作機械が据え付けられていた。この写真は完成直後の飽ノ浦製鉄所である。写真中央に見える岬は、稲佐地区である。その対岸は、西坂の丘である。長崎市街地は、左から右にかけて、西坂から出島にかけての市街地の沿岸部が見えている。長崎大学附属図書館には、少し時代が新しい写真【目録番号978(整理番号21-3)】がある。
■ 確認結果
目録番号:6204「長崎製鉄所(2)」は、長崎大学古写真データベースに昨年6月頃、追加して収録されたようである。画像解説は、関連作品の目録番号:5314「長崎製鉄所」に上記のとおりあり、特に問題はない。
今回の目録番号:6204「長崎製鉄所(2)」は、朝日新聞社「写真集 ”甦る幕末” オランダに保存されていた800枚の写真から」1986年刊の巻頭「風景いまむかし」8頁に掲載されている。
「幕末の外国人の目に映った日本の美しい風景のなかから、12の地点をより選って(選りすぐって?)、今日の姿を同じアングルで”定点観測”してみた」そうである。
2枚目の対比写真がそれ。現在の写真は、西泊湾から三菱長崎造船所本工場のうち、西泊や立神の工場を写していて、古写真の飽の浦の工場でない。背景の山がまったく違うし、同じアングルとなっていない。
古写真の撮影場所は、本工場地図のとおり、現在の「塩浜町」バス停上の高台あたりから写せる。背景の山は金比羅山と烽火山。巨大クレーンは次写真のとおり右外にある。
今頃、指摘してもはじまらないが、権威ある写真集の巻頭写真の編集として粗雑。あと1地点、大浦居留地の間違いと思われるものがあり、次記事とする。