長崎の古写真考 目録番号:3870 長崎の墓地(3)

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         長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3870 長崎の墓地(3)
 
 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:3870 長崎の墓地(3)
〔画像解説〕
   筑後町にある本蓮寺の墓地である。本蓮寺はもとサン・ラザロ病院やサン・ジョアン・バプチスタ教会があった場所で、それが破却された後、元和6年(1620)に大村本経寺の僧日恵が開創した日蓮宗の寺院である。境内は宝永4年(1704)に拡充整備されて大伽藍を形成するようになった。画面中央上の重層入母屋造りの建物が本堂で、その左手は位牌堂、右手の大きな木の手前に木部を赤く塗られた流造本殿形式の建物は清正公堂(番神堂ともいう)の神殿で、その右は廊下と拝殿である。その上に屋根が連なってみえるのは庫裏・方丈・客殿などであろう。長崎市史によると、清正公堂神殿は明治23年(1890)の建て替えで入母屋造りの仏堂形式に変更されたというので、撮影時期は当然それよりも前である。墓前に躓いて参拝する人物はまだ髷を結っているので、むしろ明治初年、上野彦馬の撮影であろうか。本蓮寺は原爆で全壊し、以後順次伽藍を復興しつつある。

 ”文昭院霊廟奥院拝殿に通じる石段と唐門を,仕切門をくぐった位置から撮影したものである。左手に並ぶ灯篭は銅製で、大名家から寄進されたものである。銅灯篭には「文昭院尊前正徳二年十月二十四日」の刻銘がある。この日は、家宣の亡くなった日である。”

■ 確認結果

 
 目録番号:3870「長崎の墓地(3)」は、超高精細画像の画像解説にあるとおり、長崎市筑後町にある「本蓮寺の墓地」である。タイトルの変更要?。