長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1086 寺(1)
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
目録番号:1086 寺(1)
〔画像解説〕
“写真外に “”TAIMA TEMPLE,NEAR TANA “”とある。当麻寺のことであろうか、よく知られる当麻寺にはこのような建造物は見られない。 “”TANA “”という地名も未詳。”
■ 確認結果
地名「タイマ」は全国的に見られる。大和の当麻寺は、相模国の当麻山無量光寺、陸奥国会津国河の当麻山東明寺とともに、「日本三当麻」といわれている。
目録番号:1086「寺(1)」には、写真外に””TAIMA TEMPLE,NEAR TANA “”とあるのは、横浜で発刊された英字新聞「ザ・ファー・イースト」のVol.2 No.10 1871/10/16に掲載された写真だからである。 「””TANA “”という地名も未詳」らしいが、インターネットで「TAIMA TEMPLE,NEAR TANA」と検索するとすぐわかった。
「貧忘録」ブログ氏の記事がある。http://blogs.dion.ne.jp/hinboh/archives/2009-10-1.html
2009年10月28日「Taima Temple」の記事。当麻寺というと奈良県葛城市の古刹が思い浮かぶが、紙面の少し上(Vol.2 No.8 1871/9/16)に“相模川、田名”というのがあるので、相模川沿い、田名の少し南にある「当麻山無量光寺」だと思い調べられたら、『当麻山の歴史』(当麻山無量光寺)に次のように記していたそうである。
“「ザ・ファー・イースト」は明治三年(1870)五月一日、絵入り隔週刊英字新聞として横浜で創刊され、明治六年七月一日からは月刊にかわり、明治八年八月三十一日号まで続いた。いわゆる画報の草分けで、発行者はイギリス人ジョン・レディー・ブラック(1827-1880)であった。「ザ・ファー・イースト」は。題名の示すように日本を主として、中国・台湾・朝鮮など極東を取材範囲とし、読者対象を主として極東居留地外国人・およびイギリス本国在住の同国人においているが、内容はニュースのほか、各地の紀行文・探訪記・風俗習慣等で、全巻六百余枚の写真を加えて、非常に内容が豊富である。
当麻山の写真がこれに掲載されているのは、明治三年六月十八日・十九日の両日、イギリス人マック・レガーとその友人がカヌーで市域田名から相模川を下った際に撮影したものと思われる。カヌーはイギリス本国から横浜へ取り寄せ。それを陸路人夫を使用して田名まで運ばせたもので、彼らは田名から相模川をくだって江の島へ行き、それから金沢を経て横浜に帰った”
したがって、目録番号:1086「寺(1)」は、現在の神奈川県相模原市当麻にある「当麻山無量光寺」の当時の姿を撮影した作品となるだろう。現在の写真は、HP「さがみはら百選」から。
(追 記 2012年2月26日)
長崎大学のデータベース上では、「当麻寺のことであろうか、よく知られる当麻寺にはこのような建造物は見られない。 “”TANA “”という地名も未詳」と解説し、イースト写真との説明はない。
しかし最近になって、長崎大学古写真研究会編「古写真研究 第1号」長崎大学附属図書館平成6年発行62頁に、当時、岡林助教授らの次の研究があることを見つけた。
和名「田名付近の当麻寺」だから、当時の当麻寺の建物に間違いないだろう。同じ大学の研究なので、見解を統一してほしい。
第2表 長崎大学附属図書館が所蔵する「The Far East」の写真目録の中
通し番号 52 (掲載)年月日 1871.10.16
欧 名 TAIMA TEMPLE,NEAR TANA
和 名 田名付近の当麻寺
整理番号 24−38
タイトル 寺(1)〔不詳〕