長崎外の古写真考 目録番号:3231 松山城(1)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:3231 松山城(1)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:3231 松山城(1)

■ 確認結果

目録番号:3231の作品は、タイトルが「松山城(1)」。内田九一が撮影した明治天皇の巡幸写真には、「熊本城」があり「松山城」はなかったので調べたのだが、作品は「松山城」に間違いない。一行の帰路の艦隊は、鹿児島から瀬戸内海を通り、坂出の崇徳天皇陵など参拝した後、神戸へ入港したので、途中、松山へも寄港したことは考えられる。
画像解説やアルバム名がなく、なぜ「内田九一」の作品としたか説明がほしい。上野彦馬アルバム中の一連の関係や、それとも写真裏に書き込みがあったのだろうか。

長崎大学側が「松山城」とわかった経過は、HP”「おしろとぶけやしき」〜さむらいれじでんす〜”の2008年3月記事にあるようである。
「長崎大学附属図書館 幕末・明治古写真に掲載されている、「目録番号: 3231 タイトル: 城 」ですが、今までどこの城か不明だった為わかりませんでした。私はその謎に興味があったので、2年ほど前より独自に調査しておりましたが、…このお城は伊予松山城で、南櫓・太鼓櫓・土塀の古写真です…」

現在の「松山城」写真は、HP”覚ゑがき『記憶のそら』”から。古写真とまったく同じ構図の写真があったので、すぐ「松山城」と確認できた。
データベースでは、タイトルを「松山城」と変更しているのに、「撮影地域:未詳」のまま。撮影地域「愛媛」で検索しても、この作品は出てこない。