長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:6311 若宮大路 ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
目録番号:6311 若宮大路
目録番号:2744 神社の参道(3)(鶴岡八幡宮社頭の景)
〔画像解説〕
手前の立札には‘KAMAKURA 鎌倉鶴ヶ岡’とある。奥は鶴岡八幡宮境内と、寛文8年(1668)修造の石造三ノ鳥居(鳥居は関東大震災で倒潰)。前後に伸びる小高い路は段葛(だんかずら)で、路上には収穫物が干してある。両側の家々の前には溝があってそれぞれ板が渡されているが、中には溝の上に張り出した家もある。鳥居の左は旅館「角正(かどしょう)」。そこから3軒ほど手前の二階家が薩摩藩主島津家の旧本陣大石(おおいし)家か。同家には、藩主や家臣が源頼朝墓ほかへの墓参等のためたびたび逗留したという記録が残る。この写真は”The Far East”1874(明治7)年2月号に掲載された写真と同じ頃の撮影だろうか。なお、鶴岡八幡宮と門前町は文政4年(1821)の大火で焼失した。町が復興したことは紀行文の記事などからも知れるが、復興後の規模や様子などについては詳らかではない。その意味でもこの写真は、幕末から明治初年頃の八幡前の姿を伝える貴重な史料といえるだろう。
■ 確認結果
鎌倉市の由比ヶ浜海岸より鶴岡八幡宮へ一直線に延びる凡そ2kmの参道が「若宮大路」。また鎌倉の中心を走る主要な交通路として機能しながら、鎌倉の古えの姿を伝えている。
目録番号:6311「若宮大路」及び目録番号:2744「神社の参道(3)」は、(鶴岡八幡宮社頭の景)とあるとおり、鶴岡八幡宮の三ノ鳥居を撮影している。
データベースで「鶴岡八幡宮」と条件検索しても、この2作品は出てこない。「若宮大路」や「神社の参道」では漠然となろう。鶴岡八幡宮・参道・鳥居を関連づけたタイトルと画像解説にしてほしい。現在の「三ノ鳥居」写真は、Web-Kamakura 「鶴岡八幡宮 鎌倉 神社 写真 花 季節の行事」から。