「長崎まちなか龍馬館」 古写真の展示内容などを考える

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「長崎まちなか龍馬館」 古写真の展示内容などを考える

幕末に活躍した坂本龍馬に関する資料を集めた「長崎まちなか龍馬館」が、1月2日長崎市中心部の商店街にオープンした。浜町のベルナード観光通りにあり、坂本龍馬や幕末の長崎の歴史に関する写真や資料が数多く展示されている。
来年2月末までの開館期間中に、来館者30万人を目指すと言う。きのう、開館早々で正月休みの見学者が多い中、私も見学に行った。
古写真の展示内容などで、気付いた点の改善を要望したい。

A  HP、場所案内板など全般
(1)NHK大河ドラマが始まり、開館は人気があるのに、長崎市ホームページが対応していない。パンフレット片面はPDFで見られるが、龍馬館の場所、展示内容などまったくわからない。
(2)まちなか龍馬館は、長崎市の中心商店街浜町にあるが、中央橋バス停で降り浜町アーケード通りを大丸前まで行っても、肝心な交差点に案内板がない。左のベルナード観光通りに入ると左側に龍馬館はある。
(3)龍馬館の前を通っても、アーケードから吊り下げた幕に「長崎まちなか龍馬館」とあるだけである。左を矢印で示すか、観光通り中央に案内板を設置してもらわないと、狭い入口の建物を見過ごす。長崎の人でもわかりにくい。
(4)龍馬館入口の建物表示が、万屋町方面から来る人に向けられている。浜町アーケードの大丸側から来る人が多いと思われるので、この方向からの配慮を(2)(3)とも必要と思われる。
(5)本年は英雄編となるが、人物が政治家や実業家に片寄っている。長崎医学伝習所に貢献した松本良順など取り上げ、医学史跡も啓発するべきだろう。

B  古写真の展示内容
(1)シアター映像で、最初に「坂本龍馬、長崎に初上陸」と大きく出るが、長崎へ直接、船に乗って来たわけではない。シアター終了後、出来事の年表を見てやっとわかる。「初上陸」でなく、「長崎を初めて訪ねる」ではないだろうか。
(2)年表記事は次のとおり。「坂本龍馬、勝海舟とともに長崎初上陸!  元治元年(1864)幕府軍艦奉行並 勝海舟は、坂本龍馬、近藤長次郎などを伴い、熊本から有明海を渡って島原へ上陸、島原街道を歩いて長崎を訪れた。龍馬にとって初めての長崎。その逗留先は福済寺だった。…」
(3)「長崎奉行所立山役所跡」と「亀山社中」と思われる建物が写る古写真は、大きくパネル展示しているが、説明がまったくない。解説と解説図が必要と思われる。(前記事を参照)
(4)「星観測眼視望遠鏡」の古写真は、明治7年(1874)日本では神戸・横浜・東京とともに長崎も金星観測地点となった。その説明はあるが、金比羅山と星取山(後に改名)だったことにふれていない。望遠鏡背後に写る山は彦山。古写真は星取山で撮影されている。
(5)「浪の平から長崎港口を望む」の古写真は、手前長屋などの建物を「小曽根邸」と説明している。江崎べっ甲店の所蔵写真。大学データベースでは目録番号:5461 などに反対方向から写した写真があり、この建物は「小曾根町の三菱炭鉱社と麦粉会社。居留地末期の明治30年
(1897)頃」と解説している。
(6)「高島・小島のグラバー邸」の古写真は、「礎石と松林のみ往時を偲ばせている」と説明しているが、井戸跡や海岸の船着場から上がる石段の通路なども残っている。

C  「長崎龍馬の道」地図 (地図左部から説明)
(1)アーチ式石橋が残る長崎街道の「一の瀬橋」「古橋」「大手橋」の表示がない。
(2)「大田蜀山人歌碑」は、「諏訪神社境内」とは別に、長崎公園の方の池横にも蛍茶屋から移設した歌碑がある。
(3)「↓カトリック中町教会、日本二十六聖人殉教地、サン・ジョアン・パプチスタ教会跡」と、「↓迎陽亭跡、聖福寺、永昌寺・西勝寺」の位置表示が逆となっている。
(4)勝海舟・坂本龍馬の逗留先、「本蓮寺」及び「福済寺」の位置表示は、必ず必要と思われる。
(5)「芊原橋」は、「芊原(すすきはら)橋」とかな表示もしてほしい。
(6)「大浦川」の川幅を太くし、「弁天橋」や「松が枝橋」を表示した方が良い。
(7)石橋電停近く「ジョイフルサン」の建物描き方が合わない。大浦川のこの通り名は「石橋通り」と呼ぶのだろうか。