長崎の古写真考 目録番号:4812 諏訪神社境内から市街地中心部を望む

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:4812 諏訪神社境内から市街地中心部を望む

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:4812 諏訪神社境内から市街地中心部を望む
〔画像解説〕
諏訪神社境内付近から、長崎県庁越しに長崎湾口を撮影した写真である。長崎県庁の洋館風の木造2階建ての建物が写真の中央に見える。写真手前が諏訪神社の社杜であり、右下に街灯が見える。これらのことから撮影時期は明治10年(1877)後半から明治20年(1887)代中期と思われる。この写真の特徴は、長崎の市街地を、諏訪神社と県庁を結ぶ、長崎市街地の骨格から撮影したところである。左の山裾が寺町であり、右の海岸線が大波止から浦五島町である。林の下の規模の大きな建物は、勝山小学校である。明治6年(1873)3月、第1番小学向明学校が勝山町に創設された。明治7年(1874)、向明学校を勝山小学校とした。写真中央に、長崎街道の通りが、長崎県庁に向けて通り、その先に県庁舎が見えている。写真左の市街地は、長崎市の中心市街である。写真中央付近に、梅香崎居留地から大浦居留地が見える。長崎市街地内部を撮影した貴重な写真である。

■ 確認結果

撮影場所はタイトルからすると「諏訪神社境内」となっているが、正しくは諏訪の杜にある「長崎公園」内。噴水や月見茶屋のある高台広場の長崎港を向いた展望所から、丸馬場越しに市街地中心部を撮影しているものと思われる。タイトルも変えた方が良いのではないか。
長崎公園は明治7年(1874)開設され、日本でも古いといわれる噴水があった(現在のは復元されたもの)。月見茶屋も創業は明治18年(1885)で、124年の歴史を持つ。

古写真右下の木立の間に寺のような屋根が覗いているが、現在、復元されている長崎奉行所立山役所の入口門と位置が合う。解説では「林の下の規模の大きな建物は、勝山小学校である」と説明しているが、「勝山小学校」はかえって写真中央の大きな木造建物でないだろうか。
小学校の右側に「長崎市役所」の古い建物も一部写っているようなので、検証をお願いしたい。

写真左側の小高い山は「鍋冠山」である。超高精細画像を拡大して見てもらうとわかるが、麓に大浦天主堂が写っている。その手前の左横から張り出している尾根は、現在、海星学園や活水大学がある東山手の尾根で、ドンの山からの山裾となる。
それなのに「左の山裾が寺町であり」と説明している。大徳寺も写っていないのに、寺町はまだ左方になるので、「寺町」が写真に収まることはありえないと思われる。