長崎の古写真考 目録番号:3237 大波止大黒町を望む  ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3237 大波止大黒町を望む  ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:3237 大波止大黒町を望む
〔画像解説〕
出島の前方付近から、長崎市街地の海岸線を大黒町砲台付近にかけて撮影した写真である。明治初期の写真で、撮影は上野彦馬である。長崎港には、出島から湾口にかけて大型の外国船が係留され、出島から湾奥にかけて長崎の近郊・沿岸用の和船が係留されている。明治初期の、さまざまな和船の種類を見ることができる。写真右下の荷物を満載した船には、6人ほどの船頭が乗っており、荷役待ちのために昼寝をしている。人間の表情が見える風景写真である。写真中央の山は立山であり、頂上付近まで畑に耕し尽くしている。山の下に木立が点在するが、その付近が筑後町の寺院群である。海岸線を見ると、右端に僅かに石垣が見えているが、これは出島の西端である。その先に、端正な石垣があり街灯が並んでいるが、そこが大波止である。さらに、大波止、浦五島町を経て大黒町に至るが、左端に砲台場が見えている。国内航路で繁栄している明治初期の長崎を撮影した写真である。

目録番号:5295 大波止沿岸
〔画像解説〕
出島の西端から江戸町・大波止から大黒町方面を撮影した写真である。撮影年代は明治初期である。極めて鮮明な写真である。目録番号3237(整理番号66-18)の写真とほぼ同じ角度から撮影しているが、江戸町の海岸線により接近した写真になっている。出島の石垣と江戸町護岸の間に水路があるが、この水路が江戸時代から出島と本土を隔絶していた水路である。明治18年(1885)から始まる長崎港改修事業では、約18m出島側が掘削されて、ここが中島川の河口になる所である。対岸の石垣は、長崎市街の西端の沿岸部分である。長崎市街地の背骨にあたる長崎県庁のある丘の西側の沿岸部は、江戸時代以来埋め立てにより、土地を拡大してきた場所である。従って、沿岸部は、写真のように石垣で護岸を形作っている。さらに、海に面した屋敷は、海から出入りできるよう、個人の波止場を持っている。沿岸の中央付近に端正な石積み護岸があり、街灯が並んでいるが、ここが大波止である。

■ 確認結果

最初の目録番号:3237「大波止大黒町を望む」の〔画像解説〕はわかりにくい。「撮影者未詳」なのに「撮影は上野彦馬である」。また、写真にたしかに写っているが「海岸線を見ると、右端に僅かに石垣が見えているが、これは出島の西端である。その先に、端正な石垣があり街灯が並んでいるが、そこが大波止である」。

次の目録番号:5295「大波止沿岸」を探し出して、やっと最初の写真の〔画像解説〕の意味がわかった。1枚目は2枚目とほぼ同じ角度で写しており、右端をカットしたような写真だったのである。「この写真に関連する作品」の項目なり、対比する目録番号を書いて解説してほしい。
現在の写真は、鍋冠山展望台からの遠望と松が枝国際観光ふ頭から写した。