長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6273 山から見た大浦居留地 ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号:6273 山から見た大浦居留地
目録番号:6163 東山手から大浦居留地を望む(2) ほか関係写真は多くあり
■ 確認結果
目録番号:6273「山から見た大浦居留地」は、2009年年7月9日付朝日新聞長崎版「長崎今昔 長大写真コレクション」に「龍馬の見た大浦居留地」として掲載された。 「ボードインコレクションの1枚で、1865年ごろにボードイン博士自身が撮影したと推測されます。…撮影場所は、当時、デント商会に務めていたポルトガル人ジョセ・ローレイロの住居だった10番の高台付近から、大浦川右岸を埋め立ててできた居留地を撮影しています」とある。
最近、データベースに大量に追加された古写真のようで、初めて見た。新聞の写真説明は専門的すぎ、現在のどこからどのあたりを写し、対岸とその山の説明などがまったくない。東山手居留地の「10番」は、活水坂を上って昭和会病院の裏通りへ行く左側。現在、高い石垣が築かれ、海星学園の校庭だ。どうも違う。対岸の岩瀬道が正面にこない。
次の目録番号:6163「東山手から大浦居留地を望む(2)」の古写真と比べてもらいたい。撮影場所は現在の昭和会病院あたりからとされる。両方の白塀の通りを注視する。屋根に煙突がある2階建の白い大きな洋館がある。
両方からわかるのは「10番」でなく、昭和会病院の裏通りを石橋の方へまだ進んだ「9番」前の道路からで良いのではないか。「9番」は現在の海星学園校舎(東山手の旧イギリス領事館だった)。ここまで上がらないと、今は高いビルが建て込み、対岸の山並みを合わせられない。
新聞では今回から数回に分けて、この居留地に刻まれた歴史の残像を追いかけるてみるとある。現地確認を正しくして、一般読者にわかりやすい説明をぜひお願いしたい。
坂本龍馬がブームだが、あまり引き合いに出すのもどうか。大浦海岸には弁天橋通りがすでにできている。昔の遠回り道をグラバー邸へ通っただろうか。