「ふるさと」の古写真考 P.38 機械化する市役所の事務(昭和37年)

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「ふるさと長崎市」の古写真考 P.38 機械化する市役所の事務(昭和37年)

長崎市制施行120周年記念写真集「ふるさと長崎市」(長野県松本市(株)郷土出版社2008年12月刊)に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。
確認が済んだものをその都度、最新の写真の状況を添えて報告したい。気の向くままの調査のため、掲載順は不同である。

長崎市の変遷と発展  P.38 機械化する市役所の事務(昭和37年)
〔写真説明〕
この写真の撮影日は不明であるが、長崎市役所ではこの頃から事務の効率化・能率アップのため会計機の導入を始めていた。また、昭和37年1月に西彼杵郡茂木村・式見村の長崎市編入に伴う農林水産行政の増大化に対処するため、大幅な機構改革を行った。特に、経済部は分離され、商工部と水産農林部を新設している。(提供:長崎市)

■ 確認結果
撮影日は不明でない。長崎市広報広聴課へ確認したら、昭和37年2〜3月の広報アルバムにあり、撮影日は昭和37年に間違いないが、どの事務の機械化の写真かわからないらしい。
コンピーターの発達にはまだ年数を要する。長崎市の税務や会計事務などが順次、電算処理化されていったのは、資料によると昭和42年9月以降である。
写真は初期段階の簡単な計算機、「バロース会計機(複式)」のようである。私の聞くところでは、固定資産税の評価額計算に導入されたが、事務量の増大にすぐ対処できなくなり、電算化へと進んでいったそうである。