「ふるさと」の古写真考 P.97 茂木の家並(明治30年代)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

「ふるさと長崎市」の古写真考 P.97 茂木の家並(明治30年代)

長崎市制施行120周年記念写真集「ふるさと長崎市」(長野県松本市(株)郷土出版社2008年12月刊)に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。
確認が済んだものをその都度、最新の写真の状況を添えて報告したい。気の向くままの調査のため、掲載順は不同である。

懐かしき風景・街並み  P.97 茂木の家並(明治30年代)
〔写真説明〕
茂木の若菜川上流を高台から望む。若菜川は満潮時には潮が満ち込む。奥の下流には木製の若菜橋が見える。手前の瓦葺き屋根は円成寺。藁葺き屋根もまだ多い。茂木は長崎の要衝であったため歴史的には教会領・天領・島原領・代官領と変わり、明治12年茂木村となった。昭和37年に長崎市に編入された。

■ 確認結果
円成寺の高台の墓地から、若菜川と茂木の家並みを写している。海から言うと「若菜川上流」だが、撮影場所の説明は「若菜川河口を高台の円成寺墓地から望む」としないとわかりにくい。「藁葺き屋根もまだ多い」は「家並みには」が必要である。

茂木は有馬領だったが、秀吉によって収公され天領となった古賀・日見など七ヵ村のひとつである。天領七ヵ村の支配は諸侯の各藩や代官に分属し、以後も天草代官・島原松平・同戸田・長崎代官と転々とした(『長崎県史』対外交渉編)。
茂木はあくまで天領。支配者が変わっただけであるので、説明に難点がある。

下部の古写真は、P.67の「茂木町(昭和36年)」(提供:長崎市)。この写真は潮見崎観音から撮影されたと思われる。
最後の写真は、茂木港の入口を立石海岸上を行く市道から。