検疫所の歴史? 長崎検疫所の門柱と境界石  長崎市戸町3丁目

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検疫所の歴史? 長崎検疫所の門柱と境界石  長崎市戸町3丁目

これも国道499号線で女神大橋のたもとまで行く。コレラが大流行、女神に検疫所が開設され、来航船舶に対する海港検疫が始まったのは、明治13年(1880)である。
当初は「消毒所」といわれていたようで、明治17年(1884)測図の陸地測量部一万分の一図「深堀村」には、まだ「消毒所」の名称が記載されている。

国指定史跡「魚見岳台場」最下段の三の増台場跡から、ほんの少し上がった右側(南)に、一辺15cm、地上高52cmの角柱がある。「女神検疫所境界」と刻字されている。同じ標石は近くの山中にもあり、現在、女神バス停上の高台にある検疫所の領域が、かつてはかなり広範囲であったことが知られる。(中尾氏学さるく作成資料から)

きのう、くらさきの鯨広告看板を見て上を見上げると、検疫所の古い門柱が見えたので、高台へ上がってみた。
平成9年2月1日、長崎検疫所(明12.7.14始)は「福岡検疫所長崎検疫所支所」となっている。いつの年代の門柱かわからないが、古い造りで正門の両脇に残されていた。門柱の上の部分は、検疫所のマークだろうか。

魚見岳台場の史跡指定地内には、「女神検疫所境界」の標石を4本確認している。最近、見つかったのは、女神大橋戸町側上の手袋岩から現在の検疫所へ下る尾根上である。昔は尾根道があったと思われるが、大橋の擁壁工事のため寸断され、フェンスが途中にあるし荒れている。