石 橋? (3) 長崎の移築されているアーチ式石橋 長崎市片淵5丁目ほか
1つ目は、片淵5丁目の西山ダム河川公園に移築復元されている「高麗橋」。この橋は、もと、中島川上流部の伊勢町、八幡町間に架けられていた石造アーチ橋である。承応元年(1652年)明国人によって創架されたと伝え、慶応2年(1866年)に拡幅改架された。
昭和57年7月の大水害後の河川改修のため、昭和60年に解体し、平成5年3月、現在地に移築復元した。移築にあたっては、アーチ石等の主要部は旧材を用いたが、川幅が広がったため端部には石材を補足し、また失われていた高欄も復旧した。(現地説明板から)
2つ目は、四杖町のあぐりの丘に移築されている「畦別当二号橋」。畦別当のアーチ石橋「二号橋」は、平成8年道拡幅工事のため解体され、平成10年にあぐりの丘の西側池に移築、復元されている。現地説明板は何もない。移築に関与された「長崎石物語」の著者、布袋厚氏が事情を知っておられたそうだ。
3つ目は、出島町の国指定史跡出島和蘭商館跡の「きゃぴたん橋」。各種の出島絵図に描かれているアーチ橋を参考に、昭和40年の庭園整備事業の一環として、橋の上のブドウ棚と共に作られた。名前については、当時の名前の有無も不明で、架橋時に愛称としてつけられたものだそうだ。
「きゃぴたん橋」の以上の説明は、HP「長崎県の石橋を訪ねて」から。長さ約5.0m、幅員約1.2m。出島和蘭商館跡の庭園池に架かる。小さいが端正な造りの橋。袂の布石に石工の名があり、「山口」「坂本」「田川」の文字が読める。
この橋でわからないのは、完全な新造橋か。それとも一部をどこかの石橋を移築して応用したものか。出島復元整備室へ今、聞いても保存文書がなく、状況は不明だった。石工から調べたく、とりあえず移築の項に載せた。