ADか? 旧長崎英国領事館の左上柱  長崎市大浦町 

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ADか? 旧長崎英国領事館の左上柱  長崎市大浦町

国指定重要文化財。大浦海岸通りの「旧長崎英国領事館」の裏側へ回り、オランダ通りといわれる所から赤煉瓦の建物を見上げてみる。
右柱上のコンクリート部に、「1907」と浮かし彫りをしている。これをさるくの何かのパンフレットで、見所として読んだ覚えがあり、あまり知られていないので確認に行った。

写真のとおり確かにあった。私が気付いたのは、もう片方の左柱上である。ここには「AD」と見える字の浮かし彫りがあった。「旧長崎英国領事館」の建物は、明治40年(1907)竣工しているので、「1907」は良い。一方の「AD」の意味がわからない。教えてもらえないだろうか。

旧長崎英国領事館  重要文化財(国指定)・建造物

指定年月日 平成2年3月19日  所在地 長崎市大浦町1番37号  所有者 長崎市
安政5年(1858)諸外国との修好通商条約が結ばれた後、長崎は開港場として自由貿易を開始し、外交事務が始められました。この建物は大浦海岸に面する大浦6番の敷地に立つレンガ造り2階建ての領事館建築で、上海の英国技師ウイリアム・コーワンの設計に基づき、明治40年(1907)に長崎大浦町の後藤亀太郎が施工、明治41年(1908)に完成しました。
1階、2階とも正面と両側面にベランダを設け、2階ベランダにはイオニア式の複柱が立ち。また各隅部には丸窓が開き、アクセントとなっています。また、明治後半期の洋風建築として、造形意匠の面からも、歴史的並びに景観上貴重であるばかりでなく、近代外交史の一端を示すものとして評価の高い建物です。  (HP「長崎市の文化財」から)

なお、オランダ通り隣の長崎三一教会との間の歩道に、「1928」「USA」と刻んだ標石がある。当時、ここに米国領事館があったそうである。