茂木の散策 (9) 茂木の風景・史跡  長崎市茂木町

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茂木の散策 (9) 茂木の風景・史跡  長崎市茂木町

長崎市の茂木地区は、「長崎の奥座敷」ともいわれ、海上交通の要所だった茂木の港を中心に、南北に自然豊かな町が広がる。いずれも天草灘に面し、豊富な漁獲と茂木びわの大産地となっている。
茂木の散策(8)は、茂木地区の中心、茂木町の風景・史跡。長崎遊・通さるく「茂木界隈」のコース外。周辺の続き。

転石下の明治・大正時代旧県道の分かれ、河平川水車小屋があった谷、今も残るアーチ式石橋「河平橋」、上手は唐八景を越し「戸町二至ル」の標石、早坂近く茂木街道の道へ戻って、長崎南環状線道路工事現場、すぐ下に団地造成中、茂木街道の残る道、柳山石橋跡、長崎大水害前の石橋古写真、道路改良開通碑、学校法人セレスタ学園茂木幼稚園、石の御前神社に祀られる神功皇后「カモジ掛けの石」、大木根元の円墳は不明、同神社向いのセレスタ修道院・茂木カトリック教会

もぎ歴史懇談会「茂木の名所旧跡」による説明は次のとおり。柳山石橋写真も同から。

写真  4〜    アーチ式石橋
旧県道開通時に造られたもので河平川を上り県道大曲の下にあり、茂木にある石橋の一つである。(「河平橋」の橋名と「明治四十一年九月架」の石柱がある)

写真 11〜    柳山石橋跡
若菜川に沿い辻を通り柳山、転石、田上を経て長崎へ通じる石畳の旧道があり、明和6年(1769)江波市左衛門温石の石畳を敷きつめ、その後安政5年(1858)長崎出来鍛冶屋町竹内億助、東築町瀟地喜平衛の両名私費で浄善田の石橋を架け交通の便を図る。
昭和47年6月 市指定有形文化財に指定、昭和57年7月 長崎大水害で流失。

写真 15〜    石の御前
茂木を開いた女神神功皇后を祭る。大山祇神社と云う石の御前様。此所には1500年前の直径5mの円墳があり大木の根元に厚さ7cm石蓋がある。