三和の散策 (4) 為石と椿が丘の風景・史跡 長崎市為石町・椿が丘町
長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。三和の散策(4)は、為石の続きと椿が丘団地の風景・史跡。
昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。
為石神社、言代主神社、為石海岸、国道沿いのアコウと枯れたエノキ、国道からの見た為石海岸、寺岳山腹の白川稲荷神社とアコウ、石鍋遺跡の岩、三和公民館の石鍋展示品、寺岳登山道途中の石祠と同前からの展望、椿が丘団地の住宅、椿が丘保育所
岩永弘氏著「歴史散歩 長崎北西の史跡」2006春刊の111〜113頁による説明は次のとおり。
写真 1〜 為石神社
為石地区公民館は海岸線道路の所にあります。その先方岩崖の頂上に言代主神社が見えますが、為石神社は少し手前から入った所にあります。祭神は奥津比古命と奥津比売命。…二神はカマドの神様として又、海の神航海安全の神様として崇拝されています。初めは大王社といわれたそうです。昔10回も火災にあい、由緒物件はすべて焼滅してしまいました。
写真 2〜 言代主神社
言代主神社は、岩崖の上にあります。一般の字は事代主ですが、此処では「言」の字になっています。岩には侵食泡があり、昔ここまで海が迫っていたのでしょう。神社の勧進年代は不明。祠に恵比須様が祭られています。戦前まで奉納相撲が行われていたそうです。
写真 7〜 白川稲荷神社
三和中学校右の坂道を上がった墓地から寺岳の登山道を行くと、白川稲荷神社の赤鳥居があります。稲荷神社は鳥居から急峻な坂段が150段ほど続いています。頂上広場には20坪?の赤いお堂があります。文政9年(1826)京都より分霊勧進し村内安全繁栄を祈りました。
写真 10〜 石鍋遺跡の岩
白川稲荷神社の裏から右の道へ下ると、すぐ左方10m先の先の竹林に大岩地帯が見えます。ここが石鍋遺跡で、近郊の人しか通らない秘境の地といえるでしょう。大岩地帯はざっと見て高さ15m、長さ30mほどでしょうか。滑石を多く含む蛇紋岩の岩壁に、円形の蓋のようなものが掘られて残っています。
平安末期から鎌倉期(11世紀〜14世紀)にかけて煮炊き用具に使用されたといわれます。