福田の散策 (4) 福田本町の史跡  長崎市福田本町

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福田の散策 (4) 福田本町の史跡  長崎市福田本町

長崎市福田本町の史跡。田子島砲台、田子島砲台付属施設、火渡しの橋、舘道、丸木舘屋敷。
岩永弘氏著「歴史散歩 長崎北西の史跡」2006年春刊47〜50頁による説明は次のとおり。
福田のショッピングセンター・サン三叉路の掲示板「福田史蹟案内図」の番号順とは異なる。

写真  2〜  (6) 田子島砲台
砲台は海岸線にかけて先方、一の台場から手前(福田中側)四の台場までありました。それは安政2年(1855)此処に台場を築き、異国船の襲来に備えるため十二門の大砲を設けたわけです。焔硝藏及び武器庫もあり、大砲は石火矢でした。それぞれの場所に説明板が立っています。

写真  9〜  (7) 田子島砲台付属施設
旧松原が終わる辺りが福田小学校体育館の背後付近で、角に清水邸(1575番地)があり、少し先は菜園で、田子島砲台付属施設の説明板が立っています。この窪みの畑に焔硝蔵1棟と武具蔵2棟があったといわれています。
異人井戸(オランダ井戸)は、史料によれば福田小学校校庭の体育倉庫の付近で、ニの台場と三の台場の中央後方にありましたが、昭和39〜40年小学校の校庭が拡張され危険のため埋められたとのことで、一般には其の位置は分かりません。
此の井戸は安政2〜5年(1855−1858)田子島に台場が出来てから台場を守る武士たち並びに異国船の飲料水として使用されました。

写真   〜  (8) 長崎サンセットマリーナは風景の項へ

写真 13〜  (9) 火渡しの橋
福田中学校正門前から福田本町公民館・福田本町公園へ向い、角から少し入ると小川があります。此の地の小川に架かる橋を古くから火渡しの橋と云われています。これは昔、津波により水浸しになった南部落の人家の火が消え、炊事もできなかったので、上部落の人が火種を南に持って渡ったので其のように云われたものです。
以前は長さ3m巾1m位の雲弱石でしたが、本町公園や市営住宅が出来るときにセメント橋になりました。

写真 15〜 (10) 舘 道
火渡しの橋を渡り福田ショッピングセンター、福田保育所に通じる道を舘道と言います。舘館は「やかた」と言い、昔ここらに平家の残党武士が住んでいたと言われています。

写真 16〜 (11) 丸木舘屋敷
福田保育所より50mほど先に池田邸(1748番地)があります。此処が天正3年(1575)福田の地頭21代福田大和守忠兼が屋敷を構えた所です。記録によれば「広三段四畝左右石垣あり」とあります。