馬渡島で「ゆうこう」2本を確認  佐賀県唐津市鎮西町

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馬渡島で「ゆうこう」2本を確認  佐賀県唐津市鎮西町

平成21年3年7日、佐賀県唐津市鎮西町の馬渡(まだら)島へ。呼子港から名護屋港を経由して馬渡島までは、船で30分。柚の新種「ゆうこう」分布調査に川上氏が行くので同行した。
平成18年3月川上氏稿「げんこう・とうこう・ゆうこう ■佐賀県馬渡島 〈ゆうこうロマンと謎〉」は、以下のとおり。悠長にそれから3年、やっと彼の馬渡島の現地調査が実現した。
なお、2007年9月27日付西日本新聞夕刊記事「謎のゲンコウ 佐賀・馬渡島固有のかんきつ類 由来キリスト教に関係? 特産化へ試み始動」がHPに出てくるので参照。

川上氏が佐賀県農業試験研究センターから取り寄せた資料によると、馬渡島に5本の「ゆうこう」の木があるはずであったが、今回の調査では場所がよくわからず時間が足りなく、2本しか見つけることができなかった。
いずれもカトリック信者が住む島内の高台「新村」地区。聖母園の園内入口マリア像前と御堂カトリック教会へ行く車道の左脇にあった。2本の「ゆうこう」の木は写真のとおりである。
馬渡島固有のかんきつ類「げんこう」「とうこう」も、「ゆうこう」との比較上、現物を確認したかったが、地元で研究されている大谷肇造さんが不在で所用を達せず、再び実がなる時期に来島する必要がある。「げんこう」が「ゆうこう」に似ているが、少し扁平という地元の話であった。
詳しい研究結果は、川上氏がまとめるであろう。

げんこう・とうこう・ゆうこう ■佐賀県馬渡島 〈ゆうこうロマンと謎〉

佐賀県の隠れキリシタンの島に「ゆうこう」があるというメールが長崎県果樹試験場根角科長から入りました。早速、毎年、純心大学長崎学講座でお世話になっている純心大学の山田先生に佐賀県の隠れキリシタンの島を尋ねたら「馬渡島」ではないかと教えていただきました。
インターネットで見てみると「馬渡島」のホームページがあり、呼子港から40分くらいで行ける島で、教会もあるようです。さらに見ていくと寛永年間、迫害を逃れて長崎県黒埼村から移り住んだという隠れキリシタンがいたとありました。

長崎県でも小が倉、土井首、深堀、三和、野母崎という旧深堀藩の地域と外海の出津を中心としたやはり深堀藩という共通点がありました。深堀藩は佐賀藩の家老でありましたし、馬渡島も佐賀県ですが、この馬渡島が加わると共通点は隠れキリシタンの可能性が高くなるのではないでしょうか。しかし、隠れキリシタンのメッカの樫山地区には「ゆうこう」がありません。現在、小が倉には大山教会、深堀には善長教会がありますし、馬渡島にも教会があるようです。この3箇所には全て「ゆうこう」が存在したのです。

2月24日根角科長と佐賀県農業試験研究センターから2人の技術者が長崎の「ゆうこう」の調査に来られました。馬渡島の「ゆうこう」について試験研究センターの方の話が、又、面白いものでした。平成11年、もともと古事記にある橘という果樹の起源を調査していたところ、馬渡島に「げんこう」、「とうこう」、「ゆうこう」の3種類の柑橘があったそうですが、「とうこう」は現在ないそうです。島では「げんこう」は今も調味料に使っているそうです。しかし「ゆうこう」は野生に存在するのだそうです。
外海の日宇さん宅で「ゆうこう」の皮入りパンなどでお昼をご馳走になりながら、先ほどの話を聞いていたら、日宇さんのお祖父さんの兄弟に馬渡島からお嫁さんが来られたとの偶然に一同驚きました。

馬渡島は元寇襲来の歴史があり、元寇の大将におばあさんが石臼を投げつけたところ敵将が倒れ、元軍も退却したという言い伝えがあるそうです。
私の考えですが、「げんこう」は漢字で「元寇」→「元柑」、「とうこう」は唐から来た柑橘で「唐柑」ともなりそうです。しかし、根角さんの言われるように、「ゆうこう」は「ゆうこう」たい。となるのでしょうか。日宇さんは、ドロ神父は優しい言葉でいろいろな事を表現していたので「友好」ではないかと言っておられました。そうなるとタイトルを漢字で表現すると「元柑」、「唐柑」、「友柑」となるのでしょうか。漢字の表現はともかく、長崎県果樹試験場と佐賀県農業試験研究センターは近く馬渡島へ現地調査に行く予定だそうです。「ゆうこう」のロマンと謎はますます深まっていきます。
(平成18年3月川上氏稿)