三菱長崎造船所「三造」の標石  長崎市岩瀬道町

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三菱長崎造船所「三造」の標石  長崎市岩瀬道町

長崎の外国人居留地跡標石の項で、長崎クラバー園入口などにあった「三菱用地」の標石写真を載せていたが、これより古いと思われる標石を見かけた。
場所は長崎市岩瀬道町。三菱重工業(株)長崎造船所本社ビルがある。第三ドックの先に迎賓館「占勝閣」が見える。「岩瀬道」の次の「八軒屋」バス停から現在の県道236号線ができる前の旧道の坂段道に入り、立神へと歩いてみた。

昭和30年頃までは、車やバスが通う道は飽の浦までで、立神・西泊・木鉢と次々と山越えして歩かなければ、小瀬戸まで行けなかった。陸の孤島といわれた地域で、船が唯一の交通手段だった。今はトンネルができ、神の島も陸続きとなって、この地域は発展を続けている。
八軒屋バス停から旧道を登りきると、岩瀬道町と東立神町の町境。ちょうど住居表示板に挟まれて、電柱の根元に「三造」と刻んだ標石があった。寸法は16cm角、高さ50cm。
三菱造船所の古い境界標だろう。現在、ここは民間の住宅地のようだ。

本造船所の歴史は、日本初の艦船修理工場「長崎鎔鉄所」として出発。幕府から明治政府に管理が移った後、1887年(明治20年)三菱に払い下げ、以後、民営の造船所として、戦後も多数の艦船を建造しているとあった。工部省所管「長崎造船局」時代の1879年(明治12年)に、立神第一ドックがすでに完成している。
標石の年代を一番古く見積もると、三菱に払い下げがあった1887年(明治20年)ともなろう標石ではないだろうか。