時津の茶屋(本陣)周辺の桁石橋 西彼杵郡時津町浦郷
江戸期、時津街道を往来する諸大名、幕府役人の休憩、宿泊にあてられた時津の茶屋(本陣)。古い屋敷が残り、外囲いに堀のような小川が流れる。
祐徳稲荷神社の方まで行って一周すると、桁石橋が3橋あった。大きい板石2つで造った茶屋(本陣)正門橋は、風格がある。裏手の方の上流にある住宅橋は、階段橋のようになっていた。
茶屋(本陣)の現地説明板は次のとおり。
茶屋(本陣)
時津は船待ちの港として神功皇后外征ゆかりの伝説を持つ港町である。殊に元亀2年(西暦1571年)長崎開港後は長崎奉行、学者、文人の往来を始め、中国、オランダ交易品の上方、関西方面送りなど大変、栄えたところである。
その本陣として寛永10年(西暦1633年)市場南に建立されたのが茶屋(本陣)のはじまりである。その後、茶屋(本陣)は、我国の外交内政の激動期、すなわち、徳川幕末近く、文化10年(西暦1817年)大村藩主の命によって、高谷正蔵が旧時津街道に沿い、この地に建てて諸大名、幕府役人の休憩、宿泊にあてたところである。
時津町教育委員会