ねずみ島(皇后島)の今昔

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ねずみ島(皇后島)の今昔

長崎港の入り口に、「ねずみ島」の通称で市民に親しまれていた「皇后島」がある。昭和13年刊「長崎市史」によると、昔は次のとおり。

鼠島は往時野鼠の発生多く作物悉く其の食ひ尽す處となつたので其の称を得たと云ふ。又其の地戸八浦の西北に當るを以て子角(ネスミ)嶋と唱へた。外人等はフイセルアイランドと称すと云ふ。又皇后島と称す。昔三韓征伐の途此の島に繿を繋け給ひしにより後人皇后島と称し、その音によりて佝僂嶋と書くものがあるのは誤である。
安政二年二月外国人遊歩場として本島を外人に開放した。蓋當地に於て否日本に於ける一般外人上陸開放の嚆矢であらう。…
明治三十六年七月…瓊浦遊泳協会を組織し…遊泳術教授に努むると共に一般人の海事思想普及上進に努めて居る。

毎年の夏休み、多くの子どもたちが通ったこの島も、長崎港の開発計画により1989年8月いっぱいで水泳道場は閉鎖され、島の3分の2が埋め立てられ、小瀬戸町と陸つづきとなった。現在は松山町の「市民プール」で水泳教室が行われている。
この島が地質学上、貴重な島であることはあまり知られていない。布袋厚氏著「長崎石物語」長崎文献社2005年刊は、次のように指摘されている。

ねずみ島は全島が「変斑れい岩複合岩体」でできている。この岩石はあらい結晶の集合体で、こい緑色の部分と黄色っぽい部分が混在している。これは、野母半島西岸に分布する九州最古の岩石によくにており、おそらく同じものと思われる(…)。長崎港周辺でこの岩石が分布するのは、ねずみ島だけであり、ほかを探してもまったくみあたらない。
このように、ねずみ島とその海岸は、小さい島にもかかわらず、いろいろな価値が凝縮されているので、将来にわたって保存すべきである。開発優先の時代はおわっている。

写真はねずみ島の現況。特異な岩石とともに桟敷跡、神功皇后之御舊跡碑を写す。明治期長崎の古写真でも、野外パーティーを楽しむ外国人の姿は、背景に高鉾島や八郎尾根が写っており、この島に間違いない。