為石石鍋製作所跡
為石石鍋製作所跡は、三和中学校上の墓地から左の寺岳登山道に入る。すぐ白川稲荷神社で赤鳥居道を登り、上祠から下に下ると右手の山際に跡の岩面2つがある。
三和町「三和町郷土誌」昭和61年刊26頁のコラム。外山三郎氏稿「為石石鍋製作所跡」は次のとおり。あと1箇所、川原字スビ石の製作所跡にもふれられているが、場所がよくわからずまだ訪れていない。長崎県遺跡地図によると岬木場、大崎にもある。
為石石鍋製作所跡・川原石鍋製作所跡
為石にある三和中学校北側の、かなり長い坂道を登ると、海抜およそ五〜六〇メートルの雑木林内に石鍋製作所跡がある。高さ数メートルの蛇紋岩の岩壁に十数個の円形の石鍋製作途中のものが、あたかも大きな皿を伏せたようにして残っている。
また川原住吉神社の西、八〇〇メートル、海抜およそ五〇メートルのところ(字スビ石)にも石鍋製作所跡がある。…
西暦一〇〇〇年、平安末期から鎌倉初・中期にかけて西彼杵半島や野母半島で石鍋製作が行われたらしい。そのうち西彼杵半島大瀬戸町のものは、軟らかく製作しやすいこの地方の滑石を原料としたもので、その代表的なホゲット製作所遺跡が国の史跡に指定されている。野母半島なかでも三和町では滑石の分布が少ないため、蛇紋岩を原料として製作にかかったものと思われる。しかし一般に、蛇紋岩は滑石よりはるかに硬く、なかに軟かい部分も混じっていてこわれやすい。従ってこれで果たして使用に耐える石鍋ができたかどうか疑わしい。しかし、いずれにしても、これで石鍋製作にとりかかった古人の苦心のあとがしのばれてほほえましく、貴重な文化財といえる。 外山三郎