長崎の外国人居留地跡標石(境石・地番標) (42)〜(49)
平成6年7月1日発行「長崎の碑(いしぶみ) 第2集」129〜142頁に、長崎市南公民館の研究グループ「どじょう会」が行った長崎の外国人居留地跡標石(境石・地番標)の調査結果が報告されている。 参 照 https://misakimichi.com/archives/1483
現地の主な標石には、長崎市教育委員会がその後、小さな陶板プレートを標石脇に埋め込んでいる。
これら標石の1つ1つを、現在の時点で再確認した。(42)〜(49)の標石は上の写真のとおり。
どじょう会の報告に表われていない境石・地番標とも思える標石も参考のため掲げる。
標石 (42)〜(45) 南山手地区町並み保存センターに保管とある標石4本。倉庫に3本はあったが、(44)の刻面の標石は見当たらず、要調査。
センターの建物は、大浦天主堂へ登る坂の現グラスロードにあった洋館を、16年前に移築している。標石もその時のもので、地番は合うという話である。
標石? MとL ここにも残っていた「三菱用地」の古い標石。三菱重工長崎造船所から寄贈された「長崎グラバー園」入口と、地獄坂先の「三菱重工南山手外国人住宅」登り口の対面角。
標石 (47)〜(49) 大浦天主堂前から左へ行くと妙行寺墓地に出る。天主堂との間に登る坂があり、この坂にあと3本の標石(次項)がある。ガス管工事中。