長崎の外国人居留地跡標石(境石・地番標) (9)〜(14)
平成6年7月1日発行「長崎の碑(いしぶみ) 第2集」129〜142頁に、長崎市南公民館の研究グループ「どじょう会」が行った長崎の外国人居留地跡標石(境石・地番標)の調査結果が報告されている。
参 照 https://misakimichi.com/archives/1483
現地の主な標石には、長崎市教育委員会がその後、小さな陶板プレートを標石脇に埋め込んでいる。
これら標石の1つ1つを、現在の時点で再確認した。(9)〜(14)の標石は上の写真のとおり。
どじょう会の報告に表われていない境石・地番標とも思える標石も参考のため掲げる。
標石? B 梅本宅下の売家の井戸脇。裏面に「乙 三拾…」のような刻字がある。「居留地地番標」?。
標石 (9) 宮崎宅。隣家との境土手上に2本あったよう。1本を庭溝に裏返し蓋にしている。
標石? C 標石(10)の擁壁の中段。降りると「岡部所有…」のような刻字あり不明。
標石? D 標石(11)近く下。これは新しい標石で「電話局」のようである。
標石? E 標石(12)ガレージ上奥の家角。これは「水神」の古い標石を放置している。
(追記 平成20年12月24日)
標石(9)について、どじょう会リストは「居留地境」とあるが、23日に宮崎安美氏宅に再び寄り標石をよく見たら、最後に写真を追加したとおり、「岡部所有」の刻みであった。
(10)の下段の「標石?C」も「岡部」の刻みである。双方とも居留地を示す標石と思われないが、参考のため、掲載はそのままとしておく。
(2015年7月4日 追 記)
標石(9)について再調査を要し、7月2日に東琴平1丁目25−8の宮崎安美氏宅(どじょう会リストは旧番地であった)を訪ねた。家人不在だったが、庭の溝蓋にした石柱を確認した。
追加写真のとおり、「岡部所有」の刻みのある石の上にあと1本、石柱らしいものがある。これが「居留地境」標石の可能性があるが、コンクリート固めして裏返しできないため、実情は以前として不明。家人は前回そのような話はしてなかった。
「東山手地区町並み保存会」が、平成18年9月5日現在で調査した標石の所在マップと写真パネルがあるが、この場所の標石はまったく表れていない。「長崎市東山手地区町並み保存センター」2階展示。