梅園身代り天満宮 の御神橋  長崎市丸山町

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梅園身代り天満宮 の御神橋  長崎市丸山町

思案橋から丸山公園の料亭「花月」前まで行き、左折して有名な丸山本通りに入る。中ほどに「長崎検番」の建物があり、案内標識により右の路地に入り、石段を上ると「梅園身代り天満宮」に着く。
2007年、境内に「御神橋」が再建されているが、次の記事と写真のとおり石桁橋である。
fwd−net 長崎・諫早HPの中「石造アーチ橋以外の石橋・桁橋など」による説明は次のとおり。
梅園身代り天満宮

長崎の花町、丸山、中の茶屋に隣接する、梅園天満宮。吉永小百合扮する愛八姉さんの「ぶらぶら節」で、すっかり有名になってしまいました。…
丸山からの狭い石段を登って境内に入ると真っ白く塗られた鳥居に出会う。丸山の芸子衆がご贔屓なので、白粉塗りの鳥居だと地元の酔客の言。案外そんなものかもしれない。…

【再建された御神橋】
昨年11月(2007年)の大祭を前に、御神橋が再建された。その際、無くなっていた欄干の親柱が2本見つかった。この御神橋が扁平な石造アーチ橋(石拱橋)ではないかとの情報も有って、今日、確認に来た。
結果としては、石桁橋であった。橋の上に見える平行の石は厚さ5cm程度の石板で、両側のカーブした桁に6cm程の、ぬすみが切り込んであり、それに乗せられたものであった。
スパン1.9m、幅員もまた1.9mの石桁橋。部材は樹脂系のコーキングが施され、しっかりと復元されている。消失してしまう石橋の中にあって、こうして復元される石橋が有るのは嬉しい。

【現地説明板】            身代り天神で有名な「梅園身代り天満宮」

祭  神  菅原道真公(正殿)、宇賀御魂神(稲荷社)
創  建  元禄13(1700)年
所  在  肥前国彼杵郡長崎村小島郷
現在地  長崎県長崎市丸山町2番20号
お社のいわれ
ここの天満宮は、元禄13年(1700)丸山町乙名安田次右衛門によって創建され、以降丸山町の氏神様として親しまれています。
元禄6年(1693)安田次右衛門が二重門(現丸山交番付近)にて、梅野五郎左衛門に襲われました。そして、自邸に担ぎ込まれたが不思議なことにどこにも傷が無く、身代りに庭の天神様が血を流して倒れていたそうです。その後、この天神様を身代り天神様と呼ぶようになりました。
そのほか明和安永年間(1770年頃)より、この場所は長崎奉行の許しにより芝居や見世物、相撲の興行が行われるようになり、また、花町に接していることから、遊女や芸者さんが多く参拝していました。さらに明治31年(1898)社殿大改修の際には文人墨客により天井絵を奉納されています。
また、第2次大戦時、丸山町の出征を命ぜられた者は必ず参拝したそうですが、身代り天神によりすべて無事に帰還したそうです。
祭  事  節分祭 2月3日  天満宮祭 11月第2日曜日
平成12年6月吉日  丸山町自治会