神殿の礎石にされている藩境石 唐比天満社

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神殿の礎石にされている藩境石 唐比天満社

平成19年7月24日午後から、諌早市郷土資料館の織田先生と橘湾沿岸の戦跡調査に行った。愛野展望台からの帰り、唐比天満社の境内におもしろい藩境石があると聞き、連れて行ってもらった。織田先生は、諌早日記により諌早領内藩境石標の調査をされ、「長崎街道雑記」No.1にまとめられている。

唐比天満社は菅原道真を祭神とする。唐比蓮池の手前旧街道沿いとなり、唐比交差点から右に入る。鳥居をくぐり境内に入ると、拝殿の奥に神殿があり裏側に回ってみると、何と「従是西佐嘉領」の長い標石2本が、写真のとおり建物の両端の礎石とされていた。

織田先生の調査では、この標石は諌早日記の嘉永四年(1851)十二月の記録になく他から運ばれたもので、後に造られたものか。石の寸法や頭部が記録にあるものと異なるようなので、現在は調査不明扱いとされているらしい。
とにかく珍しい藩境石で、場所もわかりにくいと思ったから紹介してみた。なお、境内に六地蔵石憧二基が左右にあった。地蔵の首は壊され、廃仏毀釈のためらしい。