天祐寺と諫早家墓所  諌早市西小路町

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天祐寺と諫早家墓所  諌早市西小路町

国道207号線の諌早市宇都町交差点から市役所の方へ向い、上山公園駐車場先の天祐寺前交差点からまたすぐ右折すると「天祐寺」がある。
境内の左側に県指定史跡「諫早家墓所」がある。
現地説明板及び長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

天 祐 寺 (曹洞宗)

「坤松山天祐寺」といいます。戦国時代、100年以上この地を治めた西郷氏の菩提寺で、天文期(1532〜1554)に建てられました。西郷氏は天正15年(1587)に龍造寺家晴との戦いに敗れましたが、その後この地を治めた龍造寺氏も天祐寺に帰依し、同氏の菩提寺としました。
諫早家墓所(県指定文化財)、島原の乱戦没者追悼碑(市指定文化財)、諫早義挙殉難者の霊碑、石造五重塔、六地蔵石幢、背くらべ地蔵、独立の掲額があります。
平成17年3月   諌早市教育委員会

諫早家墓所  県指定史跡

指定年月日 昭和52年5月4日  所在地 諌早市西小路町1116−2ほか
管理責任者 天祐寺
諫早家初代家晴公より18代家興公までの墓碑18基と正・側室・子息の墓25基、家臣30基、一族の墓4基、雑塔56基、石碑5基、六地蔵4基、燈籠177基など1613年より1913年までに作られた墓碑群が比較的よくまとまっている。
中でも4代茂真公夫妻とその母と思われる墓には、県内では最も立派な石造御霊屋がつくられ、墓城の一部には弥勒49院を石造卒塔婆に刻んで外柵をしているのも特異なものである。
諫早家墓所は幕藩時代の領主の墓地形式をよく残している。