主藤家住宅  対馬市厳原町豆酘

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主藤家住宅  対馬市厳原町豆酘

19世紀中頃の対馬の家格の高い農家の三間取建築様式。対馬市厳原町豆酘の「主藤家住宅」。住家であるため、外観のみの見学となる。
厳原港から南下、県道192号線または県道24号線により豆酘へ行く。対馬市役所豆酘出張所前の県道を進むと、路地へ入る案内標識がある。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明、及び現地説明板は次のとおり。平面図は「厳原町誌」1117頁から。
主藤家住宅  重要文化財(国指定)・建造物

指定年月日 昭和44年3月12日  所在地 下県郡厳原町大字豆酘2752
所有者 主藤長太郎
建築年代について、これを証する資料はないが、19世紀中頃の建築と推定されている。平面は「台所」「本座」「納戸」からなる、いわゆる三間取りで、これに一間通りの入側が表側に付き、本座の前を「座敷」、台所に接する部分を「戸口」と呼んでいる。土間は狭く、かまど、流し、風呂などがある。
全体に木割りが大きく、特に長方形断面の柱を見付けが大きくなるように立てるのは、この地方の特徴である。小屋は和小屋で、大梁を格子状に組み化粧屋根裏天井。屋根はこの地方に珍しく、本屋根・ひさし共に本瓦葺きである。対馬地方の代表的な農家の例として、貴重な遺構である。
主藤家住宅

国指定重要文化財 建造物  昭和44年3月12日指定
この建物の特色は、土間の他に、「だいどころ(居間)」「ほんざ(座敷)」「なんど(寝室)」からなるいわゆる三間取りで、玄関側に幅一間の入側を付加し、さらに縁が二方についている。土間は比較的狭く、「だいどころ」が広い。骨組みは、周囲に太い扁平な柱を立て、弓状に反った大梁を格子状に組み、独特の意匠効果を上げている。
このような間取りは、全国的にも珍しい。建築年代は、部材の形状や家屋の構造から19世紀中期頃と推測され、建築の質、意匠が優れ、保存状態も良く、構造も典型的で、対馬の農家を代表する住宅として貴重である。                   厳原町教育委員会