壱岐市に残る石橋
壱岐市に残るアーチ石橋は、現在のところ見当たらない。
桁石橋など探したところ、次の4橋を見かけた。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による「住吉神社の御神橋」(写真1)の説明は次のとおり。この橋は、親柱に「天保十四年卯九月」と寄進年があった。
同橋以外に、写真2〜4の「安国寺の参道橋」「弥佐支刀神社の参道橋」「印通寺の民家橋」を見かけた。
写真5は、筒城浜海水浴場前の「白沙八幡神社の参道橋」。これはコンクリート橋だった。
写真 1 第 k-039 番 住吉神社の御神橋 芦辺町住吉東触
架橋年は未確認 長 さ m 幅 員 m スパン m
住吉神社の御神橋
壱岐7社のうちの一座であり、国幣中社である由緒正しい日本最古の住吉神社には、立派な石橋が有った。鳥居を潜った正面に石橋を見たときは、一瞬アーチ橋か?と思った。それはさておき、石の板橋等を除いて考えれば、この御神橋が、壱岐唯一の石橋だろうか?
神池の中の池内の小祠(竹生島神社)。この下に神功皇后三韓出兵の陣鐘があり、そこから鏡を掘り出すと雨が降るという言い伝えがあるらしい。明治4年に大陸系鏡十二面及び和系鏡五面が発見された。
写真 2 安国寺の参道橋 芦辺町深江栄触
安国寺の左手横、県道側の駐車場下の参道に架かる橋。脇の古い親柱を見ると、何代か架け替えられたか、他の場所のを持ってきているよう。橋名は「渡香橋」「津合橋」、年代も「元治二年」「昭和十年一月」とかある。
山門正面口にある説明板には、「座禅石」とともに「山門前の石橋」が記されている。これは前記の橋と違い、あくまで山門前の橋のことだろう。コンクリート橋に変わっている。
写真 3 弥佐支刀神社の参道橋 郷ノ浦町大原触
国道382号線沿い、印通寺から郷ノ浦町に入ると右手に志原小学校があり、この正門前の神社に架かる橋。上流に水源、少し離れて「奉寄進石橋」「明治三十八年八月建」の刻柱が残っていた。
写真 4 印通寺の民家橋 石田町石田西触
印通寺港から国道382号線により郷ノ浦町へ向かうと、すぐ右手に小川に架かる民家の入口橋。確認しなかったが、松永記念館やふるさと資料館の裏手口とも思われる。
写真 5 白沙八幡神社の参道橋 石田町筒城仲触
対馬空港先、筒城浜海水浴場の前に大鳥居が立つのが白沙八幡神社。参道を行くと立派な石橋があったが、コンクリート橋だった。
写真 6 鬼 の 足 跡 郷ノ浦町渡良東触
有名な海食でできた天然アーチ橋をついでに。「鬼の足跡」と呼ばれる。牧崎半島の先端にあり、郷ノ浦町の中心通りから標識により北西へ進む。
アーチの上部は草原。散歩道ができている。風景の項も参照。