国指定史跡 長崎台場跡 魚見岳台場跡

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 長崎市戸町4・5丁目にある。文部省・長崎市教育委員会設置の説明板は次のとおり

国指定史跡 長崎台場跡 魚見岳台場跡  昭和61年1月31日指定

鎖国時代長崎警備のため数次にわたり、長崎港の内外に台場が設けられたこれはその一つ。承応2年(1653)大多越(太田尾)(1番)・女神(2番)・神崎(3番)・白崎(4番)・高鉾(5番)・長刀岩(6番)・陰の尾(7番)の7ヵ所にまず新設され(古台場)、文化5年(1808)2・3・5・7に隣接した台場と沙崩台場が築かれ(新台場)、さらに文化7年(1810)3・5・6番と新たに魚見岳の4ヵ所に増設された(増台場)。
この魚見岳台場は対岸の神崎台場と相対して幅500mの港口を押さえる要地で、弾丸火薬貯蔵の石蔵や一の増台場・二の増台場・三の増台場などの石垣がよく残っている。