古写真に残る石橋風景  (3)大浦の石橋「大浦橋」

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古写真に残る石橋風景  (3)大浦の石橋「大浦橋」

古写真に残る石橋風景となると、大浦の石橋「大浦橋」にふれないわけにはいかない。記事はほとんど再掲となるので、次も参照。
https://misakimichi.com/archives/792

大浦の石橋「大浦橋」は、市内電車「石橋」終点の電停先にある。バス通りを信号により渡る。横断歩道白線のこんもりした盛り上がりが、アーチ石橋を渡っているのである。
「大浦橋」はこの暗渠下に今も実在する。石橋交番側から川に降り暗渠に入って、私が本年4月、実際に写してきたのが最後の写真である。そのときはちょうど暗渠の補強工事中だった。工事用ライトに、アーチが浮かび上った。

大浦の石橋「大浦橋」の古写真は2枚ある。いずれも現地のさるく説明板にあるもの。長崎大学附属図書館蔵の写真。
最初のは「大浦川沿いのまち並み」。石橋交番裏の電停側に説明板は設置されている。明治 30年代の撮影。「石橋、弁天橋、松ヶ枝橋、散見する人物などが確認できます」とあるとおり、左下に小さなアーチ石橋が確認できる。

次のは「大浦橋」。信号がある横断歩道の「石橋」バス停のところに説明板は設置されている。
「今でも道路の下を川が流れていて、かつての石橋が残っています」は良いとし、「明治19年(1886)、地元の有力者により、この写真の石橋に架け替えられました」とあるのは、誤解をまねきかねない。
掲載の写真はアーチ石橋がわからないし、車やバスをスムースに通すため、後でつけられた角に三角桁をつけた橋となっている。暗渠下の実際の石橋の良い写真が撮れなかったため、とりあえずこの写真としているらしいが、説明板としてどうだろうか。

石橋から上の大浦川を暗渠にし市道を広げたのは、昭和37年から同47年にかけた工事であったと市に確かめている。地元の林正康先生(先祖が大浦橋を架橋)の話でも大学生の頃だったと聞いているので、大浦橋が暗渠下になったのは、昭和40年くらいと思われる。