小値賀町に残る桁石橋 北松浦郡小値賀町
小値賀町に残る桁石橋。石板橋と牛渡橋は小値賀港ターミナルの観光案内所で聞いた。
写真 1 石 板 橋 笛吹郷字笛吹
小値賀港ターミナルのすぐ裏手の路地にある。
古い町並みの名残りがあり、格子戸のある家がまだ残る。小値賀港バス停から笛吹本通りを行き、すぐの食品店「エイダン」先角から右手路地に入ると、その奥に石板橋はある。
6本ほど板石を渡した桁橋。両脇は人家で溝下に潜れない。
この橋は、観光案内所でもらえる「勇魚捕り加子達の名残 漁師町レトロ案内図」に次のとおり説明と写真があった。中、上の橋は、人家が建て込み上流の溝(柳田水道)を確認できない。「上橋」はあるようだが、「中橋」は上面をアスファルト舗装されているらしい。
② 板石橋 江戸時代の享保3年(1718)に完成した。上、中、下の石橋の内の下の橋。
写真 2 小値賀町歴史民俗資料館の中庭池の橋 笛吹郷字木ノ下
笛吹本通りの親和銀行小値賀支店1つ手前の路地を左方へ入る。
資料館は鯨組小田家の住居跡。鯨捕り関する資料、小値賀の民俗資料が展示されている。
その前の石畳坂は「長崎県まちづくり景観資産」に指定されている。
中庭の池に2つの石橋があった。築庭は小田家の以前といわれている。
写真 3 牛 渡 橋 前方郷字牛渡
HP「おぢかの歴史」の資料である小値賀町教育会「小値賀町歴史・文化フィールドワーク」によると次のとおり、
2 牛ノ塔(町指定史跡)
現在一島である小値賀島はその昔,前方地域とその西側の地域の二島に分かれていた。松浦平戸家15代を継承した肥前守源定は鎌倉時代末期,命じてこの両島間を埋め立て田となした。現在神殿と新田と呼ばれている一帯である。
この工事は「潮見様」という人柱の伝説を生むほどの難工事で,使役した牛が多く犠牲になったという。これを哀れんだ源定は工事が竣工した建武元年(1334),これら犠牲となった牛を供養するため舟瀬の海岸に妙典経約七万字を書写した一字一石経を埋納し,その上に供養塔を建立した。
これが『牛ノ塔』である。現在も毎年4月に牛ノ塔祭りが開催されている。
以上は現在、中村郷船瀬海岸に残る「牛ノ塔」の話だか、船瀬から島の北東部へ県道161号線で回ると、今も地峡をなすような前方郷に「牛渡」の地名と集落があり、現在の県道路肩下の溝のような小川に桁石橋の「牛渡橋」が残っている。
HP資料のとおり、昔、小値賀がまだ2島であった頃、この「牛渡橋」は両島へ牛を渡すための貴重な石橋だったとも考えられるが、考証文献は不明。「牛渡橋」と言われる橋のすぐ上にも、あと1つ桁橋があった。「牛渡」バス停のすぐ先の県道下に「牛渡橋」はすぐ確認できる。