波佐見町に残るアーチ石橋(3) 東彼杵郡波佐見町
東彼杵郡波佐見町に残るアーチ石橋は、15橋である。ただし、飛瀬の水路橋は石造アーチ橋としてカウントしない。5橋ずつで3項に分けた。
なお、写真13の湯無田陶山神社入口のレンガ橋は、現在、中尾宅の入口となり、切石には「伊東橋」と刻まれていた。
波佐見金山跡は https://misakimichi.com/archives/706 を参照
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。
写真 11 第 156 番 松ノ木川内橋 波佐見町村木郷(不動佐川)
明治末期〜昭和初期 長さ 4.0m 幅員 2.4m(現在は拡幅)
旧村木分校裏手。不動佐橋の下流にあたる。拡幅されていて通っただけでは判りにくい。
〜県の河川課川内係長の情報で波佐見町文化財保護係の坂本氏から教えていただいた。
写真 12 第 92 番 中尾山レンガ橋(仮称) 波佐見町中尾郷 中尾山入口
大正時代(推定) 長さ 約4.0m 幅員 約3.5m
中尾山の窯元から降りてくると左手に見える。
陶芸の里らしく、窯で使われたものらしい赤レンガのブロックで組んだアーチ橋。要の石だけは切石が使われてアクセントになっている。
〜波佐見町教育委員会社会教育課山口係長から教えていただいた。
写真 13 第 93 番 湯無田陶山神社入口のレンガ橋(仮称) 波佐見町湯無田郷
大正時代(推定) 長さ 約4.0m 幅員 約4.5m(拡幅)
湯無田郷から中尾に向かう旧道の陶山神社の前になる。
陶芸の里らしく、窯で使われたものらしい赤レンガのブロックで組んだアーチ橋。要の石だけは切石が使われてアクセントになっている。中尾山入口の橋と共通の特徴が見られる。
〜波佐見町教育委員会社会教育課山口係長から教えていただいた。
(註 要石に「伊東橋」と刻まれていたため、HPでは仮称から橋名が変更された)
写真 14 第 94 番 中尾山陶源橋(いわんした橋) 波佐見町中尾郷
大正時代(推定) 長さ 約5.0m 幅員 約4.5m(拡幅)
ひらがなの橋名を見た時は桃源郷かと思いました。
中尾山の奥に向かって、左側が橋面を拡張してあり、左側がアーチ自体を拡幅している。左の上流側から覗いたたら、アーチの1/3程が拡幅しているのが判る。
もともとは岩下(いわんした)橋であったが、開発事業でネーミング募集をして現在の橋名になったとの事。
〜波佐見町教育委員会社会教育課山口係長から教えていただいた。
写真 15 第 175 番 中川内の橋(川内川上流部の橋) 波佐見町川内郷中川内橋から支流に入る
明治期から昭和初期 長さ 7.5m 幅員 2.9m
川内川上流に架かる中川内橋を渡って上流の右手に入る支流に架かる。
1986年に波佐見町が調査した資料を基に、再度現地を歩いて出会えた橋。4年前には消失してしまったと早合点していたのだが、諦めきれずに捜し歩いた。
蔓などで橋の姿が見えないが、現地で確認した姿はすばらしい。周辺の景観に溶け込んだ良い石橋だ。こんな石橋がもっと眠っているのではと思えば彷徨い歩くのも楽しい。